2019年12月19日 (木)

知る者は言わず、言う者は知らず。【言の葉庵】No.114

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┣┫OW┃O           125年前の漱石先生の教え 2019/12/17
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名言名句は、老子の深い哲理をあらわす、「知る者は言わず、言う者は知らず」。
同句を今回、若き夏目漱石のエッセイからご紹介しましょう。
貞観政要を読むは、国の盛衰を政治手法の面から論議する巻第五「論仁義」。
800年続いた王朝と、たった15年で滅亡した帝国の違いとその要因を解き明かします。
…<今週のCONTENTS>…………………………………………………………………
【1】名言名句 第六十五回       知る者は言わず、言う者は知らず
【2】貞観政要を読む 第十三回       人民の安楽こそ、帝王の武器
編集後記…
……………………………………………………………………………………………
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【1】名言名句 第六十五回      知る者は言わず、言う者は知らず
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知る者は言わず、言う者は知らず。〜老子『道徳経』第五十六章
これも他の名言と同様、反語・逆説的な至言のひとつです。
智が深くなればなるほど、真理に近づけば近づくほど、人は余計な言葉を発しなくなるという教えです。
逆に智のレベルが浅い人ほど、知ったばかりのこと、少し聞きかじったことをしゃべりたくて仕方ないもの。
道に達した人は外見上暗愚とひとしく見える、という例は、たとえば中島敦『名人伝』の弓の達人、
紀昌の生きざまによく表れています。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/621_14498.html
「知る者は言わず」の句は、日本でも中国でも、多くの作品、文献に引用される有名なもの。
その引用例は数限りないのですが、今回は明治の文豪、夏目漱石のエッセイに引用されたものを紹介したいと思います。
「言ふ者は知らず、知るものは言はず、余慶な不慥の事を喋々する程、見苦しき事なし、
況んや毒舌をや、何事も控へ目にせよ、奥床しくせよ、無暗に遠慮せよとにはあらず、
一言も時としては千金の価値あり、万巻の書もくだらぬ事ばかりならば糞紙に等し。」
(『愚見数則』夏目漱石〜「漱石全集 第12巻」岩波書店 昭和42年)
言う者は知らず─。幾百もの駄弁を止めて、千金の一言を述べよ、と漱石は諭します。
明治28年、愛媛の尋常中学校に教諭として就任した漱石が、学問を志す生徒たちに指針を、
と理事に命ぜられ、同校発行の雑誌に寄稿したのが、『愚見数則』と題する一文。
青年教師が、夢多き少年たちに、自らの信条・思想・学問への熱き思いを箇条書きで、
時に真摯に、時にユーモラスにつづったエッセイです。
原文は名文とはいえ、125年前の日本語です。言の葉庵では今回、古語読解の労を省き、
漱石の思いにぴったりと寄り添っていただきたいと思い、全文現代語訳にてご案内しました。
本文の冒頭数行が序文。その後が本文で、20箇条にわたってひとつひとつの説諭が展開されます。
最後、数行の跋文によりしめくくられています。
20箇条の本文中、冒頭の漢数字(一.〜二十.)は、読みやすさを考慮し訳者が附しました。
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現代語訳『愚見数則』 夏目漱石
(水野聡 訳 2019.12 能文社)
 理事が来て、何か書けとおっしゃる。ぼくはこの頃頭の中がからっぽで、君たちに示すようなことがない。
しかしぜひに、ということなら仕方ない。何か書こう。
 ただしお世辞は嫌いだ。ところどころ君たちの気に入らぬところもあろう。
そしてまた、思いついたことをそのまま書き連ねたようなところもあり、
箇条書きのようでちっとも面白くないかもしれぬ。ただし、文章は飴細工のようなもの。
のばせば、いくらでものばせられるのである。そのかわり、正味は減るものと思いたまえ。
 昔の書生は笈※1を背負って四方に遊学し、「この人なら」と思う先生のもとに落ち着いたものだ。
ゆえに、自分の父兄以上に先生を敬った。
先生もまた、実の子のように弟子に接したのである。
このようでなければ、真の教育というものは成り立たない。
 今の学生は、学校を旅館なんぞのように思っている。
金を出してしばらく逗留するにすぎず、嫌になればすぐに宿を変える。
こうした生徒に対して、校長は旅館の主人のごとく、教師は番頭や丁稚のごとくである。
 主人たる校長ですら、時に客の機嫌をとらねばならず、ましてや番頭、丁稚ともなれば
薫陶を与えるどころか、解雇されないことを幸福と考えるほどである。
生徒が増長し、教員が下落するのは当然だ。
※続きはこちらから↓
http://nobunsha.jp/meigen/post_235.html

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2019年3月 3日 (日)

名言名句 第六十三回 ヴァールブルク 神は細部に宿る

Kometsubu_buddha 神は細部に宿る。

~アビ・ヴァールブルク「1925年ハンブルク大学講義メモ」

 

 

世の多くの名言名句が、作者未詳。それが誰の言葉で、出典・初出が何か明示されないことが多々あります。

絵画・建築・デザイン分野で、人口に膾炙する「神は細部に宿る」も、そうした名言の一つ。

建築家ミース・ファンデル・ローエの言葉ともされますが、典拠の確かさ(19251125日講義メモ)と時系列から、ドイツの美術史家、アビ・ヴァールブルク(Aby Warburg,1866-1929)の言葉である、とする説をとりました。

 

「ヴァールブルクの言葉『親愛なる神は細部に宿る』をめぐって」 加藤 哲弘

https://ci.nii.ac.jp/els/110000189145.pdf?id=ART0000552801&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1405420686&cp=

 

イタリア初期ルネサンスをテーマとした同講義で、ヴァールブルクは、「親愛なる神は細部に宿る」(原文:Der liebe Gott steckt im Detail)と、たしかに書き残しています。

 

原義は絵画の微細な表現、建築パーツやディティールへのこだわりを重視したもの。偉大な芸術作品は、全体の仕上がり以上に、細かなところまで徹底的にこだわりをもって作り込まれており、その最小領域にこそ「美の神が宿る」としたのです。

 

美術や建築にとどまらず、文学・音楽・舞台など、あらゆる表現分野をカバーするコンセプトゆえ、「神は細部に宿る」の作者は、フローベル、ニーチェ、アインシュタインである、とする説も提唱されるほどなのです。

 

さて、この成句が現代日本の人々にどのように捉えられているのでしょうか。

その一端をネットのリアルタイム データからいくつかご紹介してみましょう。

 

 

「単調な生活は余裕をもたらす、余裕があると細かなところに手が届く、神は細部に宿るんだよ、真理はそこにある」

 

「ただの趣味なんだけどさ 私が自分で書いてて楽しんでるだけだけど、自身がもっと楽しむためにより細部を自信持って書きたいなぁ 神は細部に宿るだっけ、あれの意味なんとなくわかった 知識はより細かい描写をするのを助け、そこにリアリティという命を吹き込むんだな」

 

(神は細部に宿る)5年ほど言ってなかったんですがやっぱりここに戻る。丁寧にすることに意味があり、ディテールを大事にする役者でいたい。でないと罰が当たる気がするから()

 

「水しぶきは本体が膨らんでから、パッと弾けた瞬間の水玉から色を変えます。炎も火の粉になった部分が離れたときから変わるのです。よく見ないとわからないくらいの色の差です。神は細部に宿る、仕事の一端から仕上げの繊細さを感じたものでした。勿論これだけで…」

 

「越路 吹雪さん(1924-1980年)、日本人でこんなファッションな人いません。神は細部に宿ると言うけど指先1本1本までオシャレ。本当に撮りたかった。」

 

「神は細部に宿るものです。 そして必ずあなた達を見ていらっしゃいます。 悪い行いから目を背けてはいけません、 そむけてしまえば神も貴方から目を背けてしまうでしょう。 いかに償うかか重要なのです。」

 

「髪の毛の色、一本一本をじっと見る。神は細部に宿る。美しいなあ」

 

「主観としてやっぱりどう考えても去年からダンスが変わったと思っていて。頭から足の先・指先まで意識したダンスをするようになったなと。 慶ちゃんの元々の独特なダンス(褒めてる)と、意識した部分と、自身の新たな魅せ方が進化して「神は細部に宿る」みたいな時が度々あるから見ててすごくグッとくる」

 

(Yahoo Japan リアルタイム検索結果 2019217日より)

 

 

イラストレーター、写真家、工芸家、アニメーター、ダンサー、アクターなど、様々な分野の人たちが、自分なりの「神の美」をディティールに探求していることが垣間見えます。

たとえば、物理学者アインシュタインが見た細部は、宇宙の最小部に宿る神だったかもしれません。量子・素粒子など超微細な領域。人の目に見えぬ、人智の及ばぬこうした領域こそ「神が宿りたもう」と人々は考えたのでしょう。

 

「細部に宿りたもう神」は、視点を広くめぐらせば「万物に宿る神」のイメージへとつながっていきます。

カトリック教義のもっとも重要な秘跡のひとつが、ミサにおける聖体拝領。

ここでは、キリストの肉体が一片のパンに、キリストの血が一滴のぶどう酒に籠るとされ、教義ではたとえではなく、まさしくキリスト自身がそこに内在すると説かれる。ミサ礼拝者が、これを摂ることによって、神と一体化するという儀式です。

なかなか理解の及ばぬ信徒に対しては、次のような問答が展開されました。

 

 

弟子 この秘跡では、主イエス・キリストはご一体でありながら、同時に多数のパンや様々な場所に現れられるのはどうしてでしょうか。

師  もっともな疑問です。これを理解するために、一つのたとえ話をしましょう。

どんな物であれ、一つの物体を多数の鏡の前に置いてみれば、どの鏡にもその影が映るという例があります。物でさえこうしたことができるのですから、ましてや万能のまことの神にてまします主イエス・キリストが、ご一体であられるといいながら、様々な場所で多くのパンに同時に宿ることができないといえましょうか。

弟子 パンを二つに割った時、主イエス・キリストのお身体も分かれるのでしょうか。

師  それは違います。たとえパンをいくつかに分けたとしても、主のお身体は分かれません。分けられたパンの一片一片に完全な形で宿られています。たとえば姿を映した鏡をバラバラに割ったとしても、映した姿は別々に分かれず、破片の一つ一つに元の姿が完全に映されるのと同様です。

 

(『現代語訳どちりなきりしたん』第十 聖教会の七つの秘跡 201710月 能文社)

 

 

 ―わずかなパン一片に、キリストの肉体が完全な形で宿る

 

微小なパーツに宿る神は、部分やミニチュアとしてではなく、「完全な形」すなわち神の存在全体としてこもる、という思想です。

 

 ―草木国土悉皆成仏。

 

細部に宿り、かつ遍く存在する神のイメージは、草木や生命のない石や河川にも仏性が宿る、とした仏教の教えともつながっていきます。

 

神仏はどこにでもいて、かつ人の目には決して見えないもの。

「なんとしても神様をこの目で拝みたい」と願っても、ついにそれは叶いません。

しかし小さなことをあきらめず、コツコツと何年も何十年も探求し続けているとある日、「ほう。なにやら面白そうな」と、自分の肩越しにそれをのぞきこむ存在に気づく瞬間が来る。

それこそ細部に宿る神の姿なのです。

 

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2019年1月 1日 (火)

名言名句 第六十二回 春夜 春宵一刻直千金。

Resize0141 春宵一刻直千金。

~蘇軾(蘇東坡)『春夜』

 

 

今回の名言名句は「春宵一刻値千金」。

宋の代表的詩人、蘇東坡「春夜」よりご紹介しましょう。

 

 

「春夜」 蘇軾

 

【原文】

春宵一刻直千金

花有清香月有陰

歌管楼台声細細

鞦韆院落夜沈沈

 

 

【読み】

しゅんしょういっこく あたいせんきん

花にせいこうあり 月にかげあり

かかんろうだい 声さいさい

しゅうせんいんらく 夜ちんちん

 

 

【訳文】

春の夜は、ひとときが千金にもあたいするのだ。

花は夜香をただよわせ、月はおぼろ、暗夜にかかる。

高殿の歌や楽の音も、今はひそと漏れ聞こゆるばかり。

中庭のブランコはぽつりと取り残され、夜が深々とふけていく。

 

【語解】

直:値と同。値段。

歌管楼台:たかどのでの歌声や管弦の音。

声細細:音がかぼそい様子。「寂寂」としているテキストもある。

鞦韆:ブランコ。女子の遊具とされていた。※注1

院落:中庭。

沈沈:夜が静かにふけていく様子。

 

※注1

「鞦」「韆」はそれぞれ1文字でもブランコの意味を持つ。古くは中国で宮女が使った遊び道具(性具)をさす。遊戯中、裾から宮女の足が見える。これが帝の目に留まって夜伽に呼ばれることから、艶かしいイメージを持たれていた。蘇軾の漢詩「春夜」の鞦韆は、皇帝との夜の営みを隠喩するという説もある。(『角川俳句大歳時記 春』2006)

 

【押韻】

同詩は七文字が四行からなる、七言絶句という形式です。金(キン)・陰(イン)・沈(チン)が韻を踏む(押韻)。句末の音が持続・開放系ではなく、下へ、内へと沈んでいく春夜のイメージを聴覚化したものです。

 

 

春の宵には、墨一色ではないさまざまな色合いとものの気配、複雑な生き物の濃度がまじりあっています。

漢字28文字に過ぎないこの短い詩に、蘇東坡は視覚・聴覚・嗅覚・触覚をことごとく呼び覚まし、あたかも今日ドローンで撮影した4k映像以上の、生の豊かなイメージを創出しました。

生と死が濃厚な匂いを発する春の宵。そこには千金万金にも代えがたい、宇宙の真実がひそんでいます。肉眼では決して見えず、人の耳では決して聞こえてこない、奥深い“幽玄の境”といえましょうか。

そしてまた、「無一物中無尽蔵」で詠んだ悟りの風景にもつながっていく、永遠の春の詩が蘇軾の「春夜」なのです。

 

 

・蘇東坡(蘇軾)

 

蘇 軾(そ しょく)1037 -1101。中国北宋時代の官人、詩人、書家。東坡居士と号したので、一般に蘇東坡(そとうば)とも呼ばれます。

北宋最高の詩人とされ、文人としては韓愈・柳宗元・欧陽脩らとともに「唐宋八大家」と称されています。また書家としては、米芾・黄庭堅・蔡襄とともに「宋の四大家」と称される、中国を代表する文化人です。

 

 

 

・能〈田村〉への引用句

 

春の名作能〈田村〉には、シテ・ワキの名所教えの段落で、当句が引用されます。

 

ワキ げにげにこれこそ暇惜しけれ。こと心なき春の一時

シテ げに惜むべし

ワキ 惜むべしや

シテ・ワキ 春宵一刻価千金。花に清香。月に影

シテ げに千金にも。替えじとは。今此時かや

 

清水寺から、清閑寺、今熊野観音、鷲の尾の寺、音羽山へと、シテとワキがお互いの視線を追いながら、春都の絶景をながめるシーンです。

「春宵一刻価千金」と感動を分かち合いつつ共に吟ずるくだり。

旅の僧と社殿の童子が、あたかも恋人同士のように袖引き合いながら、互いの心に春のおぼろ月をかけあう。

引用元の「春夜」になまめかしい暗喩があるとしたら、能作者はそのイメージをも物語の背景に意図して盛り込んだものかもしれません。

とかく春の夜は、もの狂おしいものです。

 

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2018年5月10日 (木)

歩く四書五経、谷那律

1 諫言とはこのように行うという、お手本です。

 

 谷那律(こくなりつ) が諫儀大夫となった。

 

ある日、太宗の狩猟の供をしたが、途次にわか雨にあう。

 太宗が尋ねた。

「雨具の油衣は、どうすれば雨がしみ込まぬようにできるだろうか」

 谷那律が答える。

 

「瓦でお作りになれば、もはやしみ込むことはございません

 

(狩に呆けず、瓦を葺いた宮殿に居れば、雨に濡れることも、治政の問題も起きない、とのたとえ)。」

 その心は太宗の狩猟を控えさせんとするものであった。太宗はその言を深く理解し、大いに喜んだ。

 

すなわち絹二百反を下賜し、加えて黄金の帯一筋も与えた。

 

(『貞観政要 下』能文社2012 巻十論佃猟)

 

 

 

谷那律は太宗の家臣。

 

博学のため褚襚良から「九経庫」とあだ名されたほどの第一級の知識人である。

 

諫儀大夫、弘文館学士を拝命。しかし『貞観政要』中、彼の名がみえるのは全数百編の中、

 

この一箇所のみである。

 

太宗の側近にいかに綺羅星のごとく人材がひしめいていたかがわかろう。

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2018年5月 3日 (木)

言の葉庵 名言名句第六十一回「仇をば恩で報うなり」

Atsumori01 仇をば恩で報うなり。

~敦盛『源平盛衰記』巻第三十八「平家公達最後並頸掛共一谷事」

 

 

源平盛衰記に留める、敦盛最期の思いを伝えた言葉です。

 

「仇を恩で報う」

 

今日、対義的な「恩をあだで返す」が一般によく知られていますが、「自分がこうむった恨みを、恩として返す」ことに、わりなさを感じられる方も多いのではないでしょうか。

そもそも仏教の報恩とは、仏や父母など自分が恩を受けた相手に対し、感謝して恩を返していくこと。

 

孔子も論語で、

「直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ」(憲問第十四、三十六)

と述べ、怨みには正しく対応(返報)しなければならない、としています。

「仇に恩で報いる」思想は、仏教でも儒教でもなく、実は老子です。

 

「怨みに報ゆるに、徳を以てす」(『老子』六三)

 

孔子の考える君子とは、義と礼に従い、社会秩序を守るため、仇に対して正当に処置していくことを求めます。

かたや老子が考える徳をもつ人とは、

「上徳は無為にして、而して以て為にする無し」(同三八)

すなわち何事にもとらわれず、執着しない人は、そもそも怨みを感じることはなく、自分に敵対する人へも平等に徳をもって接していける、とするのです。

 

「隣人を愛し、敵を憎めと命じられている。しかし、わたしはいう。敵を愛し、自分を迫害する人のために祈りなさい」(マタイによる福音書544)

 

仇に対し恩で報う思想は、神の下、平等と友愛を説くキリスト教の教えに、むしろ近いのかもしれません。

「目には目を」と、仇に報復することで、それは無限に繰り返されてしまいます。まず敵をつくった遠因は自分自身にあり、とし、この悪しき連鎖を断ち切ろうとする「仇をば恩で報うなり」は、宗教や人種を超えた人類の叡智ではないでしょうか。

 

悲劇の主人公敦盛と、坂東武者熊谷次郎直実の邂逅と、心理的な葛藤がいきいきと伝えられる、『源平盛衰記』の一段を以下現代語訳にてご紹介します。

 

 

………………………………………………………………………………

 

 

■平家の公達が首を討たれ、最期を遂げた一の谷

 

修理の大夫経盛の子、若狭守経俊は、兵庫の浦まで落ち延びたが、源氏方邦和太郎に討ち取られてしまう。

 

同じく経盛の末子が、無官の大夫と呼ばれる敦盛であった。

紺の錦の直垂に、萌黄おどしの鎧をつけ、白星を打った甲の軍装である。背には滋籐弓と、護田鳥尾の矢を十八差して、鵇毛の馬に乗る。そしてただ一騎、沖の大将船を目指して、一町ほど浮きつ沈みつ漂っていたのだ。

 

さて、武蔵の国の住人、熊谷次郎直実は、この時よき敵を探しつつ、須磨の浦に立って東西を伺っていた。敦盛の姿を見かけるや、馬をざんぶと海へ打ちいらせる。大将軍と見当をつけ、体面もなく海に飛び込んだのであった。

 

「戻せや、戻せ。かくいうは、日本一のつわもの、熊谷次郎直実である」

と呼びかけたところ、敦盛は何を思ったものか、馬の面を引き返し、渚に向かって泳がせてくる。馬の脚が立ったあたりで、弓矢を投げ捨て、刀を抜き、額に当てて声を上げ向かってきたのだ。

熊谷これを待ち受けて、浜に上がる暇も与えず、波を蹴立てて馬同士を駆け並ばせる。

 

馬上で取り組むや、二人は波打ち際にどうと落ちた。上になり、下になり、二度三度と転がるうちに、敦盛は若輩、熊谷は熟練のつわものであったゆえ、ついに上になり、左右の膝で敦盛のかぶとの袖をむずと押さえつけた。敦盛は身動きもならず。

熊谷、腰の刀を抜き、まさに首をかかんと甲のうちを見てみれば、十五、六の貴公子である。

薄化粧にお歯黒をつけ、にこりと笑った。

熊谷は、なんと無残な、これも弓矢取る身の運命か。かほどに若く、上品な貴人のいったいどこに刀を突き立てられよう、と心をくじかれるのである。

 

「はて、あなたはどなたの御子であろうか」

と聞くと、

「さあ、早く斬れ」

という。

「あなたを斬って雑兵の中に捨て置くこともできませぬ。素性も知れぬ東国の野蛮な者とて、名乗ろうとされぬか。それも由あることなれど、われにも一存あっておたずね申すのです」

といった。

敦盛は思う。名乗ろうが、名乗るまいが、ここは逃れられまい。しかるに、この者の一存とは、恩賞のためわれの名を知りたいのであろう。組むも、切るも前世の縁。仇を恩で報うもの。されば名乗らん、と、

「なんじに一存があるならば、いって聞かせよう。これは、故太政入道の弟、修理大夫経盛の末子、いまだ無官ゆえ、無官の大夫と呼ばれる平敦盛、生年十六である」

と告げたのだ。

 

これを聞き、熊谷ははらはらと落涙した。なんと悲しきことであろうか。わが息、小次郎と同年とは。なるほど、その年頃に違いあるまい。

たとえ無情な者であろうとも、わが子への愛は格別なもの。もしてやこれほどたとえようもなく貴い子を失っては、父母も悶え焦がれんことの哀れさよ。

とりわけ小次郎と同年と聞けば、なんともいとおしく助けてさしあげたい。

その上、御心も勇敢な方。日本一のつわもの、と名乗っても、落ち武者の身にして、しかも幼若にもかかわらず取って返した。これは大将軍の器である。しかしこれは義経公の戦。なんとも惜しい命、いかにせん、と思いわずらいためらうところへ、前にも後ろにも武者どもは組んでは落ち、次々と敵を捕らえている。

その中で、熊谷は一の谷でまさに組み押さえた敵を逃がし、人に獲られたと噂がたてば、子孫にとって弓矢の名折れとなろう、と思い返した。

 

「どうにかお助けしたいと思うのだが、源氏の兵はもはやこの地に満ち溢れております。とても逃れられる身にあらず。

あなたのご菩提はこの直実がよくよくお弔い申そう。草葉の陰でご覧じられよ。ゆめゆめ粗略にはいたしますまい」

と、目をつむり、歯を食いしばり、涙を流してその首を掻き落としたのだ。

 

無残というも愚かなり。敦盛は死を恐れず、あきらめず、幼少の身ながらまったく凡庸の器ではなかった。平家の人々は討たれるその時までも風流な心を失わなかったのだ。

敦盛はこの殿軍の陣中でも合間に吹かんと思ったのであろう、古色もうるわしい漢竹の笛を、香を留めた錦の袋に入れ、鎧の引き合いに差して携えていた。

 

熊谷はこれを見つけると、ああ、惜しいこと、このたびも城中で今朝がたも楽の音が聞こえていたのは、この人であったのか。源氏の軍兵は東国より数万騎上ってきたが、笛を吹く者は一人もいない。なぜ平家の公達は、かくも優雅なのであろうか、と涙を流して去っていった。

 

そもそもかの笛は、笛の上手であった父経盛が作らせたもの。砂金百両を宋に送り、上等な漢竹を一枝取り寄せ、節と節との間の最上質な部分を切り取らせた。

天台座主、前の明雲僧正に命じ、秘密瑜伽壇にこれを立てて、七日間の加持祈祷を行い、秘蔵して彫らせた逸物である。子どもたちの中では、敦盛が器量の者である、と七歳にして授けられたという。夜が更ければ更けるほど音色が冴えたゆえ、さえだ(小枝)と名付けられたのだ。

 

熊谷は、この笛と敦盛の首を手に捧げ持ち、子息小次郎を訪ねていった。

「これを見よ。修理大夫の御子で、無官大夫敦盛というお方だ。

生年十六と名乗られたゆえ、お助けしたいと思ったものの、なんじらの弓矢の末を案じ、かくも憂き目を見ることとなってしまった。もしもこの直実が亡き者となろうとも、誓って後世を弔わねばならぬぞ」

 

このようにいい含めた後、熊谷は発心し、以降弓矢を捨ててしまうのである。

 

 

(現代語訳 水野聡 20185)

 

 

 

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2018年2月 9日 (金)

【言の葉庵】名言名句 一休道歌 極楽は西方のみかは東にも北道さがせ南にあり。

Gokuraku 極楽は西方のみかは東にも 北道さがせ南にあり。

~伝一休宗純 道歌

 

 

「死んだらなんとしても、極楽へまいりたいものじゃ」

「ほんにそうじゃ」

「まちごうても地獄ばかりには落ちとうないな」

「そればかりはかんべんじゃな」

「はて。極楽は西にあるというが、うんと遠くじゃろうか」

「備前よりも、豊後、肥前よりも。いや唐国よりも、もっと遠くじゃろうか」

 

ぼくたちご先祖様たちは、このように西の空を仰ぎ、極楽を憧れたのかもしれません。

今回は、一休の道歌を道しるべとして、極楽はどのようなところか、またなぜ西にあるのか、そもそも極楽自体本当に存在するのかを探求していきたいと思います。

 

室町時代、時の傑僧たる一休は、同様の問いをみなから寄せられたことでしょう。

その答えが、上の一首。まずは歌の解釈を見てみます。

 

 極楽は西方のみかは東にも

 北道さがせ南にあり

 

【解釈】

浄土宗の教えでは西方浄土とよび、極楽は西にあるという。

ところが極楽は、西のみか、東にも北にも南にも、どこにでもあるのだ。

 

素直に読めばこうなりますが、下の句には掛詞が二か所あり、歌意は仏教哲理としてぐっと深くなります。

まず、〔北道〕と〔来た路〕。そして〔南にあり〕と〔皆身にあり〕。

つまり、

「極楽は西ばかりではなく、東にもある。しかし本当の極楽(真理)は、自分の歩んできた道に、そこかしこにあって、そもそもすべての人の一身の中にあるものだ」

となります。

 

極楽とは、実在するユートピアではなく、一切の業苦より解脱し、もはや何物からも煩わされず、苦しめられることのなくなった、真に自由な心の状態のことです。

それを悟り、あるいは成仏とよべるのかもしれません。

 

さて、極楽とは本来どのようなところか。なぜ西方にあるとされたのか。

その元となる浄土三部経の一、『仏説阿弥陀経』では以下のように説かれています。

 

「今をさること十劫の昔。阿弥陀仏は成道して、西方十万億の仏土をすぎた彼方に浄土を造られた。今も、この極楽で人々のために説法をしている」

 

なおこの説明によると、仏土、極楽というところは、広さは限りなく、いずれも美しく荘厳されて、大気は清浄快適である。人々の求めるものは衣服、飲食、すべて望みどおりに与えられ、苦も業も一切なく、ただ楽のみがある世界だとしています。人は死後、阿弥陀如来に救われて、この浄土に往生するのです。

 

経典など知らず、目に一丁字なき大衆が、この浄土、極楽に憧れたとしても無理のないこと。今昔物語の極悪人、讃岐の源大夫が阿弥陀仏を慕い、ただひたすら西を目指し、ついに成仏往生した物語は当時の阿弥陀信仰を象徴しています。

・救われる極悪人『今昔物語』

http://nobunsha.jp/blog/post_133.html

 

そして浄土や極楽を実際の場所ではなく、悟りや真理ととらえるならば、『十牛図』の若者が見失ってしまった牛(実は真実の自分)を追い求める苦難の旅も同様のものといえるでしょう。

・現代語訳十牛図

http://nobunsha.jp/book/post_161.html

 

仏の国である極楽は、神の国であるキリスト教の天国と等しく感じられるもの。

カトリックの教義でも、天国は具体的に存在する場所ではなく、全き信仰を得て、神と一体化した人の心の状態である、とする教えがあります。

 

「また、見よここにあり、かしこにあり、と人々いわざるべし。見よ、神の国は汝らの中にあるなり」

(ルカ伝十七章二十一節)

 

一休の道歌もまた、極楽、すなわち仏の境地は、外にあるものではなく、来た路、自分の行いと、皆身、つまり自分自身の中にもとより備わっていたもの、とさとしているのです。

 

悟りも真理も、幸せも、ごく身近にいつもある。ただ、それがあまりに近すぎて、人はかえって気づかないのかもしれません。

一休以前にも、幾人かの賢哲が同様のことばを残しています。

 

「それ仏法遥かにあらず。心中にして即ち近し、真如は外にあらず。身を捨てて何れかに求めん」

(空海『般若心経秘鍵』)

 

「明珠在掌(めいじゅたなごころにあり)

(明覚大師『碧巌録』第九十七則)

 

「極楽は眉毛の上の吊るしもの あまりの近さに見つけざりけり」

(伝道元道歌)

 

   

 

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2017年5月31日 (水)

百里を行く者は、九十を半とす。【言の葉庵】No.99

Kanae06 【言の葉庵】メールマガジン、本日発刊しました!

http://archives.mag2.com/0000281486/

 

【1】名言名句 第五十九回 百里を行く者は、九十を半とす

百里を行く者は、九十を半とす。
~劉向『戦国策』秦巻第三


古代中国戦国時代、強国秦の武王を家臣が諫めるため、古語より引用した一文にある名句です。
本文中「詩に云く」とあるのは、孔子が古詩より三百十一編を選んで『詩経』を撰した際、収録しなかったものを『逸詩』と呼び、そこから引用したことを指しています。

「詩に云く、百里を行く者は、九十を半とす、と。これ末路の難きを言ふなり」

 

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2016年12月30日 (金)

名言名句第五十八回 『述懐』 人生意気に感ず 功名誰かまた論ぜん。

Jinseiiki 人生意気に感ず 功名誰かまた論ぜん。~魏徴『述懐』

 
 
今回の名句は、唐王朝建国の功臣、魏徴の詩『述懐』の掉尾を飾る二句です。
志を同じくする人に出会えたなら、自分の生涯は定まってもはやゆるがない。
名をあげ、功を成すことなど二の次である、
と魏徴は高らかに謳いあげています。
これはいにしえの豫譲の「士は己れを知る者のために死す」と同様の境地です。
 
『述懐』は、『唐詩選』第一/五言古詩の巻頭に置かれ、漢詩の最盛である唐詩の幕開けを告げる名作です。
わが国でも「人生意気に感ず」は人口に膾炙し、魏徴の名を知らない人もおそらく耳にしたことのある有名な句ではないでしょうか。
 
さて『述懐』の成立年は特定されておらず、隋末の混乱した時代の中で、どの時期に置くかによって詩の内容と意向は大きく変わってしまいます。
これを通説に従い、武徳八年(西暦625年)とすると、李密のもとに身を置いていた魏徴が、高祖李淵に召され唐に降った頃となります。
 
この時、魏徴は高祖の命を受け、かつての李密軍の同志、徐世勣(後の李勣)の宣撫に向かうこととなりました。隊列を整え、潼関を進発。その行軍の途上で成した作であろうと推察されます。
 
「唐の高祖は宿敵であるわれを罰せず。あまつさえ深く信頼し、この重い任を下されたのだ。
あなたもしかるべき主君のもとで存分に働き、新しい国をともに築いていこうではないか」。
もしも高祖の降伏勧告書に、この『述懐』が旧友からの私信として添えられていたのなら、徐世勣は大きく心を動かされたかもしれません。
 
この後、徐世勣は唐に帰順。太宗の世となってより、大将軍として数々の殊勲をあげ、唐建国に大きく貢献していくこととなっていくのです。
 
高祖、魏徴、李勣、そして太宗。偉人、傑人とはいえ、一人の力には限りがあります。
しかし国を創らんという「意気」が人と人とを結びつけ、三百年の礎を築きあげました。
出会った瞬間、「百年の友に会った」「この人となら成し遂げられる」と目を開かせてくれる人がいる。
これは何も千三百年前の遠い国の物語ではなく、今のあなたを明日待ち受ける運命の出会いかもしれないのです。

続きはこちら↓
【言の葉庵】オフィシャルHP

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2016年9月 2日 (金)

奪うに益なく、譲るに益あり。【言の葉庵】No.91

まぐまぐメルマガNo.91、本日発行しました。

http://archives.mag2.com/0000281486/

 

0000281486 ≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫ 名言名句マガジン【言の葉庵】益がある、という普遍的な金言をご紹介。2016年10月期、【言の葉庵】カルチャー新クラス情報をまとめてお知らせします。

…<今週のCONTENTS>…………………………………………………………………

【1】名言名句 第五十七回 二宮尊徳 奪うに益なく、譲るに益あり
【2】カルチャー情報 【言の葉庵】秋のカルチャー新クラス

編集後記…
……………………………………………………………………………………………Resize0081

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2016年8月 2日 (火)

二宮金治郎の名言 1

譲って損なく、奪って益なし。

(二宮尊徳先生遺訓/二宮報徳神社)1235

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