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2011年9月23日 (金)

『山上宗二記』の真実 第十一回  茶の湯者覚悟十体

さて今回は、武野紹鴎の伝、あるいは利休の伝ともされる「茶の湯者覚悟十体」の段を読み進めます。まずは、本文より。

 茶の湯者覚悟十体

一 上を粗相に、下を律儀に。これを信念とする。
一 万事にたしなみ、気遣い。
一 心の内より、きれい好き。
一 暁の会、夜話の会の時は、寅の上刻 より茶の湯を仕込む。
一 酒色を慎め。
一 茶の湯のこころ。冬・春は雪をこころに昼、夜ともに点てる。夏・秋は初夜 過ぎまでの茶席を当然とする。月の夜は、われひとりであっても深更まで釜をかけおく。
一 われより上の人と交わるがよい。人を見知って伴うものだ。
一 茶の湯では、座敷・露地・環境が大事である。竹木・松の生えるところがよい。野がけには、畳を直に敷けることが大事となる。
一 よい道具を持つことである。(ただし、珠光・引拙・紹鷗・宗易などの心に掛けた道具をいう)
一 茶の湯者は、無芸であること一芸となる。紹鷗が弟子どもに、
「人間六十が寿命といえども、身の盛りはわずか二十年ほどのこと。絶えず茶の湯に身を染めてはいても、なかなか上手になれはせぬ。いずれの道でも同じである。まして他芸に心奪われては、皆々下手となってしまおう。ただし、書と文学のみ、心にかけよ」
 といわれた。
最初の項目「上を粗相に、下を律儀に」の解釈がまず難題です。“外見は粗末に、心を大事に”と読む場合もあるようですが、あまりに意訳に過ぎるのではないでしょうか。ここは、“貴人・権力者におもねらず、なみの参客をこそ大事にせよ”と読む。そうした方が、人を世俗の格で決して差別せぬ侘び茶の心にかなうのです。
〔言の葉庵名言名句 第六回〕
七項目目、
「われより上の人と交わるがよい。人を見知って伴うものだ」
は、当然貴人・権力者ではなく、修行の段階、心のレベルでの“上”をいっている。すなわち、人をよく見、よく知って、虚心坦懐に教えを受けることの大切さを説いているのです。これはあらゆる芸道修行の不文律ですね。
順序は前後しましたが第六項目、
月の夜は、われひとりであっても深更まで釜をかけおく」。
茶の湯では、不時の参客に備えるためにつねに湯茶の用意を欠かさぬことを心得としました。『長闇堂記』では、当時堺の茶の湯者の間では、これを“名誉とした”と伝えていますし、『茶話指月集』には、以下のような面白いエピソードがあります。
「秀吉公、聚楽におはしましけるとき、ある雪の夜宗易を召して、こよい町に茶湯すべきものは誰そ、とお尋ありしに、上立売に針屋(宗春)が候と申し上ぐる。さらば汝をつれて御成りあそばされんとて即刻渡御あり。
こころよく御茶まいり、御褒美にあずかること、人の耳にあれば語るに及ばず。昔のはり屋は僅か四間口の家にてありしが、かかる所へ渡御ありしも茶の徳とこそ存ずれ」
針屋宗春は、迎えた太閤に「急な御客にてもてなしも何もございませんが」と、三方に洗米をのせ、口受けに呈しました。雪の夜の不時の用意といい、この軽妙洒脱な客あしらいといい、大いに秀吉の興をかい、お誉めにあずかったというのです(源流茶話)。
深夜、人足の途絶えた雪の夜など、ことに心得の高い茶人ほど“不時の会”の風流を楽しんだもの。また、天下人と天下一茶頭、侘び茶人が身分を越えて親しく膝を交える茶の湯の徳こそ、
月の夜は、われひとりであっても深更まで釜をかけおく
この伝の真意ではないでしょうか。
最後の項目、
無芸であること一芸となる
は、下記リンクをご覧ください。
〔言の葉庵名言名句 第十一回〕

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