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2011年6月 2日 (木)

『山上宗二記』の真実 第九回

 さて『山上宗二記』珠光一紙目録は、まだまだ続くのですが、茶碗より、花入、肩衝、茶入(茄子)と続き、「台子四飾りの事」の段落では、その他の道具という意味で、台子珠光道具、台子引拙道具、火筋、内赤盆、侘花入、夏の花、冬の花…と補完的な記述がやや雑多に記録されています。
 その中で目を引いたのが、「四方盆の事」で触れられる塗り師、"羽田五郎"についての以下の記事でした。

一 四方盆の事
 昔は、羽田(はねた)が塗り師の名人であった。中頃からは、法界門が上手である。紹鴎茄子を飾りはじめてより、塗りは法界門となった。上作は三十貫、中は二十貫、下は十貫である。
『山上宗二記』能文社2006

 そもそもこの「羽田五郎」なる人物、塗師最古の人とされ、茶器の棗は羽田が珠光のために作ったのが最初である、という説があります。
 「羽田五郎」は、相国寺の"法界門"前に住み、足利義政の用命を受けたともいわれる。この頃、法界門前には塗師等が職人町を形成し、それらの製品は「法界門塗」と称されていたが、羽田五郎もその中の一人であったという説があるのです。また、「五郎」の実体は羽田以外を含む門前の塗師たちを基にした伝説上の人物ではないか、ともいわれています。

 楽焼や竹花入などにくらべ、利休道具としてさほど取り上げられない棗などの「塗り物」の発祥と経緯。紀三、与三、盛阿弥など、利休時代の塗師たちよりも前代の伝説の塗り師「羽田五郎」。珠光時代の塗り物については、非常に興味をそそられるため、さらなる茶道史の研究と調査結果が待たれますね。


 宗易が盛阿弥に、
「棗は、漆の滓をまぜてざっと塗れ。中次は念を入れて真に塗れ」
 といいし。紀三、与三が棗は、塗りみごとすぎて、おもくれたり。
『茶話指月集』

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