« 『山上宗二記』の真実 第四回 | トップページ | 『山上宗二記』の真実 第六回 »

2011年3月10日 (木)

『山上宗二記』の真実 第五回

さて、それでは各段落主要部分をご紹介しましょう。
まずは、宗二記冒頭におかれる「序」(原典に題はなし)。

ここでは、室町八代将軍足利義政へ同朋衆能阿弥が、奈良の茶人村田珠光をひきあわせた逸話が紹介される。茶道史では東山山荘が建築された1482年、能阿弥がすでに没していたため、この逸話は疑問視されています。三者の生没年を見ましょう。

・能阿弥 1397-1471
・足利義政 1436-1490
・村田珠光 1423-1502

そして東山山荘建築が着工されたのは、1482年、翌年には義政をこの地へ居を移しています。義政と珠光が出会ったのは東山ではないことは確かですが、三者の年代は上のように重なり合っており、その出会い自体を否定することはできません。

もうひとつ着目すべきは、能阿弥の珠光を推薦する言葉の中に
「珠光は、孔子の道をも学んだ者」
とあることです。
「茶の湯者覚悟十体 追加十体」の段落に、『論語』の「十有五にして学に志し」を引き、茶湯者としての年代別、稽古の要諦を説きます。茶道史にとって禅の影響は確かに大きいものです。が、「礼」と「中庸」をもっとも重んじる儒教の茶への影響も、この能阿弥の証言から再び光を当ててみる必要があるのかもしれません。




 そもそも茶の湯は、普光院殿 、鹿薗院殿 の御代より、唐物 、絵讃のたぐいを高貴な方々が集め終えたことからはじまる。その頃の同朋衆は、善阿弥、毎阿弥であった。さて、右おふたりの公方様が、お亡くなりになった後、桂雲院殿 が跡を継がれたが、十三歳で落馬にて薨去。短命であられた。その後、東山慈照院殿 の御代となって、世の名物ことごとく集め終えられる。花の御所様 へ家督を譲る時、明光院殿 が後見として都に残る。この方へ名物を少々授与されたが、そのほか御所様へお譲りの七珍萬宝は数えることもできぬほどであった。
 譲位の後、慈照院殿は東山 に隠棲。四季の移り変わりとともに昼夜ご遊興召されたものだ。
 頃は秋の末、月待つ虫の音も物あわれな折り節、能阿弥 を召し出し、『源氏物語』雨夜の品定めなど読ませる。和歌、連歌、月見、花見、鞠、小弓、扇合わせ、草尽くし、虫尽くし、さまざまな興をもよおしつつ、来し方のことなど物語なさる内に、慈照院殿、ふと仰せ出される。
「古来よりのありきたりな遊びも早や尽きてしまった。ようやく冬も近い。雪山分けての鷹狩も老いの身には似合わぬもの。何ぞ珍しい遊びのないものか」
 と仰ったので、能阿弥かしこまって承り、はばかりながら申し上げた。
「茶釜のたぎる妙音は、松風すらそねむと申します。かつまた、茶の湯は、春・夏・秋それぞれに趣きある遊び。近頃、南都称名寺に珠光と申す者がおります。この道に志深く、三十年来茶の湯に身を抛ち、孔子の道をも学んだ者にございます」
 と。珠光より受けた秘伝、口伝ならびに二十一か条の仔細ことごとく言上し、かつ、
「唐物のお飾りは、日頃見慣れぬ珍品を眼前にできますもの。これまた名物の徳と申せましょう。小壺・大壺・花入・香炉・香合・絵・墨蹟を愛でる寂びた遊びは、茶の湯にまさる物とてございませぬ。また、禅宗の墨蹟を茶の湯に用いることがある。珠光が一休和尚より、圓悟の墨蹟を賜り、これを茶飾りの一種として愛でたもの。しかれば、仏法も茶の湯の中にございます」
 と、委細申し上げたのだ。
 これにより、慈照院殿は珠光を召し出され、茶の湯の師匠と定められた。以来、これを生涯唯一の楽しみとされることとなる。
 当時、茶の湯を嗜まぬ者は人にあらずといわれた。諸大名はいうまでもなく、下々、ことに南都、京、堺の町人に至るまで、茶の湯を専らとする者があらわれた。彼らの内、上手ならびに名物を持つ者は、京・堺の町人であろうとも、大和の大名と同様に、命により茶の湯の席へと召し出され、歓談の人数に加えられたのである。このようにして京・堺に珠光の弟子が増えていった。有名なところでは、松本 ・篠 ・道堤・善法 ・古市播州・西福院・引拙らの名があげられる。
 さて、東山殿薨去の後も、代々の公方様は茶の湯に親しむ。同朋衆の芸阿弥 ・相阿弥 も先師、珠光に学ぶ。やがて東山御物は市井に散失してしまうが、今も変わらず茶の湯の道は、隆盛しているのだ。珠光の後継者は、宗珠・宗悟・善好・藤田・宗宅・紹滴・紹鷗らである。
 目利きであり、茶の湯も上手、数寄の師匠をして世を渡る者を、茶の湯者という。名物を一物も持たずして、胸の覚悟一、創意一、腕前一、この三つの揃った者を、侘び数寄という、と。
 唐物を所持し、目が利き、茶の湯も上手。この三か条調い、一道に志深い者、これを名人という。

  茶の湯者とは、松本・篠の両人のこと。
  数寄者とは、善法のことである。
茶の湯者であり、数寄者でもある。これを古今の名人という。
  珠光ならびに引拙・紹鷗のことである。

『山上宗二記 現代語全文完訳』能文社 2006

|

« 『山上宗二記』の真実 第四回 | トップページ | 『山上宗二記』の真実 第六回 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『山上宗二記』の真実 第五回:

« 『山上宗二記』の真実 第四回 | トップページ | 『山上宗二記』の真実 第六回 »