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2011年1月 5日 (水)

戦国武将と茶の湯「松永久秀」第三回

3221 「天国に入りたるの感あり」。イエズス会宣教師が報告する久秀の多聞山城は、安土城のさきがけともいえる豪華な天守閣をもった名城であったといいます。

■多聞山城

多聞山城(たもんやまじょう)は、奈良県奈良市法蓮町にあった松永氏の居城となった平山城。多聞城とも呼ばれる。
城には多聞天が祀られていたため多聞山城と呼ばれ、現在でも城跡の山は多聞山と呼ばれている。東に奈良への入り口である奈良坂を、更に南東に東大寺、南に興福寺をそれぞれ眼下に見る要地に位置し、大和国支配の拠点となった。
城内には御殿などの豪華な建築が建ち並んでいたが、中でも四重天守(四階櫓とも)は、安土城をはじめとする近世城郭における天守の先駆けともいえる。その様子は、宣教師ルイス・フロイスによってヨーロッパにも伝えられた。

松永久秀は茶人としても名が通っており、大和国や堺、京の豪商や著名人を招き、多聞山城で幾度かの茶会が行われたことが『茶会記』に記載されている。この茶会記によると、多聞山城は6畳と4畳半の少なくても2つの茶室もしくは茶亭があったと思われ、後に織田信長へ献上することになる「九十九髪茄子」、また信貴山城が落城する時に行方不明となる「平蜘蛛窯」の名が見受けられる。

多聞山城について、宣教師ルイス・デ・アルメイダの永禄8年(1565年)10月25日付の書簡が、フロイス『日本史』に引用されている。これは、アルメイダが松永久秀の家臣の招待を受けて見学し、本国へ報告したものである。

「予は六七百年の寺院の多数に於て之を見たり。此の別荘地に入りて街路を歩行すれば其の清潔にして白きこと、恰も当日築城せしものゝ如く、天国に入りたるの感あり。外より此城を見れば甚だ心地好く、世界の大部分に此の如き美麗なる物ありと思はれず。入りて其宮殿を見るに人の造りたる物とは思はれず、之に付記述せんには紙二帖を要すべし。宮殿は悉く杉にて造り其匂は中に入る者を喜ばせ、又幅一プラサの緑は皆一枚板なり。壁は悉く昔の歴史を写し、絵を除き地は悉く金なり。庭園及び宮庭の樹木は甚だ美麗なりといふの外なし。予は都に於て美麗なるものを多く見たれども殆ど之と比すべからず。世界中此城の如く善且美なるものはあらざるべしと考えふ。故に日本全国より只之を見んが為来る者多し」

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