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2011年1月 2日 (日)

戦国武将と茶の湯「松永久秀」第一回

戦国の世、下克上のシンボルと目される松永久秀。
略歴詳細はWikkipedia等でもご確認いただけます。
が、まずは概略を。

■略歴

松永 久秀(まつなが ひさひで)
永正7年(1510年?)~天正5年10月10日(1577年11月19日)
戦国時代の武将。別名 松永弾正 (まつなが だんじょう)。
官位 従四位下、弾正忠・山城守・弾正少弼
主君 三好長慶→三好義継→織田信長
妻 正室:三好長慶の娘、子 久通

父は不明。嫡男久通、養子永種、弟長頼。
はじめ三好長慶に仕えたが、やがて三好家家中で実力をつけ、長慶の死後は三好三人衆と共に第十三代将軍・足利義輝を殺害し、畿内を支配した。しかし織田信長が義輝の弟・足利義昭を奉じて上洛してくると、信長に降伏し家臣となる。その後、信長に背いて敗れ、自害した。
将軍足利義輝暗殺や東大寺大仏殿焼失の首謀者などとも言われる。
北条早雲・斎藤道三と並んで日本三大梟雄とも評されるが、信貴山城近郊の人々からは、教養人であり領国に善政を敷いた名君として慕われたという。

それではまず、久秀の人物を知るためにいくつかの逸話を拾ってみましょう。

・逸話1
「乱世の梟雄」と称されることが多く、将軍・足利義輝暗殺、東大寺大仏殿の二度目の焼失への関与、陣中にあっても女色にふけったなどの数々のイメージが付き纏う。信長は徳川家康に、「この老人は全く油断ができない。彼の三悪事は天下に名を轟かせた。一つ目は三好氏の暗殺と謀略。二つ目は将軍暗殺。三つ目は東大寺大仏の焼討である。常人では一つとして成せないことを三つも成した男よ。」と言って久秀を紹介したと伝えられている。実像と風評の食い違いも多々あるが、下克上をもっとも体現した戦国武将であると、当時から評されていることに間違いない。

・逸話2
織田信長は、通説では家臣に対して厳しい人物と言われるが、久秀への対応は甘かった。二度目の反逆でも茶釜「平蜘蛛」と引き換えに助命を考えていた節があり、信長が一目置く武将であったとの見方もある。

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