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2011年1月28日 (金)

能と物語文学・伝説 「邯鄲」第四回

「枕中記より」作曲された能「邯鄲」をご案内します。能とは思えない"アクロバティック"な体技、舞台の圧縮・展開・暗喩等、能の象徴的な演出法を総動員した作劇には、現代の作家・演出家も学ぶものが多い不朽の名作です。

●能『邯鄲』

別称 「邯鄲枕」/「盧生」
作者 世阿弥元清
曲柄 四番目(略初能)
季節 不定
場所 支那国河北省大名道邯鄲の里
シテ 盧生 (面:邯鄲男。黒頭、厚板唐織・半切法被、掛絡、水晶数珠、唐団扇)
ワキ 勅使 (厚板、白大口、側次、男扇)
ワキツレ 大臣 三人/與丁
小方 舞童 (金風折烏帽子、紅入縫箔、白大口、長絹、童扇)
間狂言 宿の女主
作物 一畳台・引立大宮 枕


●あらすじ

蜀の国の盧生という若者が、楚国羊飛山の聖僧から悟道の教えを受けんと思い立ち、旅の途中、邯鄲の里に立ち寄る。この里の宿で女主より、奇特な「邯鄲の枕」を借り一睡してみた。
そうしたところ楚王の勅使が迎えに来、宮殿へと伴う。国王より王位を譲られ栄華のうちに五十年過ごすこととなる。ある日臣下が千年の齢を保つ仙薬の杯を奉げたので酒宴を催し、自らも興じて楽を奏していたところ、件の宿の主に起こされて、夢はたちまち失せる。覚めてみると、それはわずか粟の粥を炊ぐ間の儚い夢に過ぎなかったのである。
かくして盧生は、なにごとも夢の浮世と悟り、この枕こそ善知識、と感謝し帰国するのであった。

●主題

悩める青年、盧生。一生あくせく働き続け、貧乏に耐え続けること。あるいは出世し、栄達を極め、富貴な身に生涯贅沢わがまま三昧をして暮らすこと。人としていずれが本当の幸せか。人として生まれたからには何をすべきか、そもそも自分は何のために生まれてきたのか…。それは必ずしも若者だけの悩みとはいえまい。老若男女、古今東西を問わず、人として生まれたものすべてがもつ迷い、煩悩である。能『邯鄲』はまた、私たちに夢と現実の境界のあいまいさをも鋭く問いかける。きわめて現代的、かつ普遍的なテーマをもつ「名作」といえるのではないか。

●特殊な演出(邯鄲の仕掛け)

1.中国(唐)風の演出 →女主の側次、唐団扇、黒頭
2. 一畳台・引立大宮と枕の扱い →邯鄲の里のひなびた宿が、豪壮な宮殿に一変する。枕のある/なし、が合図。
3.子方の舞とシテの舞の対比
4. 一畳台中のシテの”楽”+特殊な型「空下り」
5.夢の中の登場人物が退場→シテの一畳台への「飛び込み」の型
(軽業師、曲芸師の空中浮遊技)
6.数百曲ある能の中で、唯一シテが”寝そべる型”をする

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