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2011年1月 8日 (土)

戦国武将と茶の湯「松永久秀」第五回

Resize0100 松永久秀より、信長へと献上された小茶壷史上最高の名品「つくも茄子」。さて、つくもを掌中にした信長は、これをきっかけとして茶の湯へと耽溺することとなります。信長の御茶の湯御政道を引き継いだ天下人秀吉、そして秀吉の茶頭、千利休により、茶の湯は日本中を熱狂させ、日本の代表的な文化へと変貌を遂げていきます。
今回は、久秀と「つくも茄子茶入れ」の奇しき縁をご紹介しましょう。


■大名物つくも流転記

 作物茄子・付藻茄子・九十九茄子などとも書かれ、また九十九髪・九十九髪茄子・松永茄子などとも呼ばれる。松本茄子・富士茄子とともに「天下三茄子」と言われた。
村田珠光が、代価九十九貫で入手したため、あるいは茶入表面の景色から、伊勢物語「ももとせにひととせ足らぬ九十九髪 われを恋ふらし面影に見ゆ」(在原業平)の歌からつけられた銘だともいう。

その昔(南北朝期)、佐々木京極道誉所持と伝えられる。その後、足利三代将軍義満の手に渡り、明徳の乱で戦場に向かう際も肌身離さなかったほど愛蔵した。ついで珠光が見出し、八代足利義政が保有し、東山御物となった。義政は、寵愛する山名政豊に与えたが、政豊もこれを珍重し、具足の袖につけ戦場に臨んだため疵がついた、と伝えられる。
その後方々を流れ、三好宗三を経て、越前朝倉太郎左衛門教景が五百貫で購入。ついで越前府中の小袖屋へ値千貫で売却。越前国一乱(加賀一向一揆)のため、小袖屋から京都の袋屋が預かるが、のちに勃発した天文法華の乱で消息不明と申し立て返却を拒んだという。当時すでに「天下一の名物」とされた九十九茶入を、所望する多くの大名に先駆け、手中したのが、畿内を制覇した松永久秀であった。永禄元年(1558)春のことである。

久秀は、さっそく相国寺惟高妙安に記文を作成させた。「作物記」である。原本は信貴山城落城で焼失するが、写しが甫庵「信長記」、「総見記」に収録されている。宣教師ルイス・フロイスにより、多聞山城とともに”つくもかみ”として遠くヨーロッパにまでその名が伝えられた、希代の名物九十九髪。久秀は、この自慢の道具を当世の名だたる茶人を招いておのれの数奇を誇示するのだ。

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