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2010年10月12日 (火)

戦国武将と茶の湯「佐々木道誉」第一回

1222220 戦国武将と茶の湯シリーズ、今回は「バサラ大名」として名高い、室町・南北朝の雄、佐々木道誉。
室町幕府、政所執事や守護として政権を荷いながら、和歌・連歌・茶道・能・花・香などに通じる「文化大名」の嚆矢としてもその名は知られる。世阿弥を三代将軍足利義満に紹介したのも、実は道誉であるらしい。
まずは道誉のプロフィールから見てみましょう。

■佐々木道誉

 永仁4年(1296年)~応安6年(1373年)。佐々木 導誉(ささき どうよ)/京極 導誉は、鎌倉時代末期から南北朝時代の武将。導誉は法名で、諱は高氏(たかうじ)。一般的に「佐々木佐渡判官入道(佐々木判官)」や「佐々木道誉」の名で知られる(自署は「導誉」であるが、同時代の文書に「入道々誉」と記されたものが多いため)。官位は左衛門尉、検非違使、佐渡守など。

近江国の地頭である佐々木京極家に生まれ、執権北条高時に御相供衆として仕える。後醍醐天皇の綸旨を受け鎌倉幕府を倒すべく兵を挙げた足利尊氏に従い、武士の支持を得られなかった後醍醐天皇の建武の新政から尊氏と共に離れ、尊氏の開いた室町幕府において政所執事や六ヶ国の守護を兼ねた。

ばさらと呼ばれる南北朝時代の美意識を持つ婆沙羅大名として知られ、『太平記』には、謀を廻らし権威を嘲笑し粋に振舞う、導誉の逸話を多く記している。失脚した細川清氏が南朝の楠木正儀らと京都を占拠した際に、自邸に火をかけずに立花を飾り、宴の支度をさせた事や、幕府内で対立していた斯波高経の花見の誘いを無視し、大原野(京都市西京区)で大宴会を催した事などである。

・文化

また和歌、連歌などの文芸や立花、茶道、香道、さらに近江猿楽の保護者となるなど文化的活動を好み、幕政においても公家との交渉を務めていることなどから文化的素養の深い人物であると評価されている。

〔和歌・連歌〕
「新続古今和歌集」小鳥の詠所収。「新玉津嶋歌合」。「群書類従」三首の詠所収。連歌「筑波集」に八十余首所収。

〔猿楽〕
近江猿楽、犬王道阿弥を愛顧。観阿弥・世阿弥父子を二条良基、将軍義満に推盤したのも道誉といわれる。

〔所有唐物〕
九十九茄子・京極茄子(織田茄子)、

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