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2010年9月17日 (金)

戦国武将と茶の湯「信長」第四回

信長名物狩りの中でも、もっとも目を引くのが正倉院御物「蘭奢待」の切り取りです。公式記録では帝以外に、信長の前には足利義政、後には明治天皇の3名のみが、切り取ったとされる門外不出の日本の名宝。歴史的なその日の様子をご紹介します。


■蘭奢待の切り取り

 天正二 (1574)年3月12日、信長は京へと発向した。奈良・東大寺の正倉院に収蔵されている香木・蘭奢待(らんじゃたい)を天皇家より賜るためであった。
 蘭奢待は、天皇家の宝物。信長以前に切り取りを許されたのは、室町幕府三代将軍義満、六代・義教、八代・足利義政のみとみられ、いかに将軍であっても簡単に許されるものではなく、天皇の勅許が得られず、なかば強圧的に切り取りの許可を迫ったものといわれている。
 信長以後、確認されているのは明治天皇のみで、徳川家康も切り取ったのではないかという。
3月26日、朝廷より日野輝資、飛鳥井雅教が勅使として派遣され、蘭奢待切り取りを許す綸旨を伝達。翌27日信長は奈良の多門山城(多聞山城)へ入る。そして東大寺へ特使として塙九郎左衛門・菅谷長頼・佐久間信盛・柴田勝家・丹羽長秀・蜂屋頼隆・荒木村重・武井爾伝・松井友閑・津田坊(信澄?)など錚々たる家臣団を派遣するのであった。
 28日、長さ六尺(約1.8m)の長持に入れられた蘭奢待(自体は長さ160cm、重さ11.6kg)は、信長の待つ多門山城の御成りの間に運ばれた。信長は、先例に習い一寸八分(約5.5cm)切り取り、同席した家臣らにも「後の話の種によく見ておくが良い」と語ったそうである。
 信長が切り取ったとされる部分は、蘭奢待につけられた付箋によると写真の真中あたり。その右が八代将軍足利義政、左の端が明治天皇である。
Photo

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