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2010年9月12日 (日)

戦国武将と茶の湯「信長」第一回

日本文化の代表とされる茶道、茶の湯。

日本人が茶に初めて触れたのは古く、奈良時代のこととされています。しかし一部貴族の特殊な習慣ではなく、一般に広く茶の湯が親しまれたのは、信長・秀吉の安土桃山時代。いわゆる戦国武将たちと堺の茶人たちによって、今日の茶の湯文化が大成されたのです。
いつ、誰により、なぜ、どのように、茶の湯文化がはじまり、広がっていったのか。今回、戦国武将と茶の湯の歴史を、織田信長、秀吉、千利休等、キーパーソンの足跡をたどりながらひもといていきたいと思います。
まずは、「御茶湯御政道」で知られる信長と茶の湯の歴史。信長茶の湯関連年譜をご紹介しましょう。

■信長と茶道具関連 年譜

永禄十一(1568)年
・10/3 松永久秀が「つくもかみ」、今井宗久が松嶋の壷・紹鴎茄子を信長に献じた。
永禄十二(1569)年
・4月頃 松井友閑と丹羽長秀を使いとして上京で名物茶器を買上げ
【茶器】初花(大文字屋)・ふじなすび(祐乗坊)・竹さしやく(法王寺)・かぶらなし(池上如庵)・雁の絵(佐野・灰屋)・もくそこ(江村)
(カッコ内は『信長公記』に記載されているもとの所有者)
元亀一(1570)年
・3月頃 松井友閑と丹羽長秀を使いとして堺から名物茶器を買上げ
【茶器】菓子の絵(天王寺宗及)・小松嶋(薬師院)・柑子口(油屋常祐)・鐘の絵(松永久秀)
・4.1 松井友閑宅で茶器を見る。翌2日茶会
天正元(1573)年
・石山本願寺から万里江山の一軸、白天目が贈呈された
・11.23~24 妙覚寺で茶会。24日は千宗易(利休)が茶頭をつとめる
天正二(1574)年
・2.3 天王寺宗及が岐阜を訪れた折、信長の好意により宗及にとって未見の茶器が披露された
・3.24 相国寺で茶会
(3.28に東大寺の蘭奢待を切り取り)
・4.3 相国寺で茶会
天正三(1575)年
・3.16 今川氏真が百端帆を献じた。氏真からはこれ以前にも千鳥の香炉が献上されている
・10/21 本願寺が和睦のため小玉澗・枯木・花の絵三軸を献じた。三好康永(笑岩)が三日月の葉茶壺献上

・10.28 妙覚寺で茶会
天正四(1576)年
・2.23 信長より丹羽長秀に珠光茶碗を下賜
・7.1 信長の許しを得て丹羽長秀が市絵、羽柴秀吉が大軸の絵を所持した
・松花の壷・金花の壷が献上された
天正五(1577)年
・3.23 雑賀攻めの帰途,若江(東大阪市)で名物買上
【茶器】化狄(天王寺屋)・開山の蓋置(今井宗久)・二銘のさしやく
天正六(1578)年
・1.1 安土で主要な部将12人を招いて茶会
・9.30 大船見物のため堺にいた信長が今井宗久宅を訪れ茶会
天正七(1579)年
・12月頃,周光香炉を銀子百五十枚で召し上げ
天正九(1581)年
・2.25 柴田勝家が姥口の釜を下賜された
・12.22 羽柴秀吉が茶会開催を公認され,茶道具十二種を下賜された
天正十(1582)年
・6.1 本能寺で公卿たちを前に名物披露の茶会が開かれた
Nobunaga01

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