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2010年8月 1日 (日)

奥の細道行脚。最終回「大垣」

Okuno_front_300 【おくのほそ道】

 露通もこの湊まで迎えに来て、ともに美濃国に向かう。駒の助けを借り、大垣の庄に入れば、曾良も伊勢より来たる。越人も馬を飛ばして、みな如行の家に入り集う。前川子、荊口父子、その他親しい人々が昼夜訪ねてきて、まるで死者が蘇生したとでもいうように、ともに悦び、かついたわってくれる。
旅疲れいまだ癒えぬ内、長月六日になれば、伊勢の遷宮を拝もうと、また舟に乗り、


 蛤のふたみにわかれ行秋ぞ


鑑賞(はまぐりの蓋と身が別れるというが、ここで皆と別れ、二見が浦を見に行こうとする。ふたたび相見える時もあるものか、と心細い秋である。「行秋ぞ」は、冒頭の「行春や」と合わせ、紀行文を閉じる)


【曾良旅日記】

○三日。辰の刻、発つ。途中、春老方に寄る。夕方におよんで、大垣着。天気よし。
この夜、木因 が会おうと、息子弥兵衛を呼びに遣わせたが行けず。予より先に越人が到着していたので、これと会う予定があったためだ。

 四日。天気よし。源兵衛 へ会いに行く。

 五日。同。

 六日。同。辰の刻、出船。木因が馳走する。越人は船場まで見送る。如行ともうひとりが、三里のところまで送ってくれた。餞別あり。申の上刻、杉江 へ着く。長禅寺で舟を下り、陸路すぐの大智院へいたる。舟は半刻近く遅れた。七左 ・玄忠由軒も来て、翁に会う。


【奥細道菅菰抄】

露通もこの湊まで迎えに来て、ともに美濃国に向かう。駒の助けを借り、大垣の庄に入れば、曾良も伊勢より来たる。越人も馬を飛ばして、みな如行の家に入り集う。前川子、荊口父子、その他親しい人々が昼夜訪ねてきて、まるで死者が蘇生したとでもいうように、ともに悦び、かついたわってくれる。旅疲れいまだ癒えぬ内、長月六日になれば、伊勢の遷宮を拝もうと、また舟に乗り

露通は俳諧に多く路通と書いている。美濃の生まれ。ある時、乞食の境地に陥っていたが、翁が取り立て僧となし、門人とした。

越人・如行・荊口・前川も、みな大垣に住む。大垣は中山道の往還、戸田侯の城下町である。蘇生は、本字「甦生」と書き、よみがえる、と訓ずる。いたわるは、労の字。古訓ではねぎらう、と読む。長月は九月のこと。『奥義抄』に、「夜ようよう長き故に、夜長月、というところを略して、長月という」とある。

伊勢太神宮の遷宮は、二十一年目にあり、九月晦日の夜。○この一章は、一篇の終章ゆえ、文勢は自然に健やかで急なものとなる。これまた、和漢、文章作成の一つの格で、翁の筆法、隙のないことを知るべきであろう。

蛤のふたみにわかれ行秋ぞ

『金葉集』、大中臣輔広の歌に、「玉くしげ二見の浦の貝しげみまき絵に似たる松のむら立」と詠まれたものから貝を蛤に転じ、ふたみ、を掛詞としたもの。


※本編は、『奥の細道 曾良旅日記 奥細道菅菰抄 全現代語訳』能文社 2008年3月より抜粋、再構成しました。
http://bit.ly/cnNRhW

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