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2010年6月 2日 (水)

奥の細道行脚。第一回「序章」

今回スタートする「奥の細道行脚」は、三百年前芭蕉が、奥の細道の旅でたどったコースを、ほぼ同じ日程でヴァーチャルに行脚していこうとするものです。

具体的には、現在のリアルな日付とほぼ同じ日程にて、奥の細道本文を、『奥の細道全現代語訳』(能文社2008)
http://bit.ly/cnNRhW
より、該当段落をご紹介。ともに読み進めてきます。誌上の旅であっても、よりリアルにより深く、おくのほそ道を体感していただくために、同著所収の『曾良旅日記』と『奥細道菅菰抄』も、該当段落を併載します。

芭蕉と弟子の曾良は、元禄二年旧暦三月二十七日(新暦五月十六日)深川芭蕉庵より旅立ちます。奥羽、北陸を巡遊する、所用全日数百五十五日、総行程六百里の大旅行でした。旧暦九月六日(新暦十月十八日)、終着地の大垣を経て、伊勢長島から伊勢神宮をめざし再出発する場面で、この紀行文は閉じられます。

江戸出発は五月十六日。ちょうど今頃ですね。今回は、日本文芸史上極めつけの名文といわれる、おくのほそ道の序、「月日は百代の過客にして…」を読み、江戸深川より出発。最終回には「大垣」へと、約半年かけて到着する予定です。

●序章

【奥の細道】
 月日は百代の過客であり、行き交う年もまた旅人である。舟の上に生涯を浮かべるもの、馬のくつわを取って老いを迎えるものは、日々これ旅にあり、旅を住みかとしているのだ。古人も多く旅に死んだという。私もいつ頃よりであろう、ちぎれ雲のように風にさそわれては、漂泊の思いやまず、海辺をさすらったものである。去年の秋、江上の破れ小屋に蜘蛛の古巣を払い、ようよう年も暮れる。春立つ霞の空に、白川の関を越えてみたいもの、とそぞろ神にとりつかれ心乱され、道祖神にも招かれては取るものも手につかぬありさま。股引きの破れをつくろい、笠の緒すげかえ、三里に灸をすえなどしているが、松島の月、いかがであろうかとまず心にかかる。それゆえ住まいは人に譲り、杉風の別宅に引っ越すにあたって、

 草の戸も住替わる代ぞひなの家

鑑賞(古びたこの草庵も、住む人が変われば、代替わりするもの。愛らしい雛など飾る若やいだ家にもなるのであろうか)

 これを発句に、表八句を庵の柱へと掛け置いた。


【奥細道菅菰抄】
月日は百代の過客であり、行き交う年もまた旅人である

『古文真宝後集』、春夜桃李園に宴する、の序に、「それ天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客」と、天地の運旋、日月の軌跡を旅にたとえている。逆旅は、旅籠屋、光陰は太陽の移り行くこと。過客は旅人という意味である。

舟の上に生涯を浮かべる

生涯は、俗に、一生というようなもの。『荘子』に、「わが生や涯り有りなり」とある。

古人も多く旅に死んだという

ここまでが序文の発端の詞にあたる。

私もいつ頃よりであろう

ここから本序となる。

ちぎれ雲のように風にさそわれては

『詩経』の、「一片の孤雲、吹を逐って飛ぶ」という風情である。

漂泊の思いやまず

漂泊の二文字はすべてただよう、と訓じる。さまよい歩くこと。

海辺をさすらったものである

吟行と書くべし。これも「さまよう」の意であり、文選の『漁父の辞』に見える。左遷という意味ではない。

江上の破れ小屋に

江上は、江都などというのと同じ。江戸をさす。
(訳者注 漢文、日本の古文ともに江上は、水面または、川のほとりという意味である。深川芭蕉庵のことであろう)

春立つ霞の空

『拾遺集』、「春立つといふばかりにやみよし野の山もかすみてけさは見ゆらん」、忠岑。

白川の関を越えて

古歌の立ち入れである。以下の「白河」の項目にくわしい。

そぞろ神にとりつかれ心乱され、道祖神にも招かれては

「坐」の字をそぞろと訓じてきた。が、ここでは「倉卒」の字を用いるべきだ。心のあわただしい様で、神は比喩である。祖は門出の祭名といい、旅立ちの祭りである。黄帝の妹、累祖という人は、遠出を好み、ついに途上にて亡くなった。これにちなんで岐路の神として祀る。日本においては、猿田彦命を分かれ道の神とする。神代に天津彦火瓊瓊杵尊、下界に降臨の時、迎え導いた神で、『日本書紀』にくわしい。後世、仏教徒が青面金剛を伝来し、これを庚申と称した。道路に庚申の像を置き、巷の神とするのはこれゆえである。

松島の月、いかがであろうかとまず心にかかる

松島は奥州の名所であり、以下にくわしい。『新勅撰』、「心あるあまのもしほ火焼すてて月にぞあかす松が浦島」、祝部成茂。『新後撰』、「まつしまや雄島の磯による波の月の氷に千鳥鳴也」、俊成。

杉風の別宅に

 杉風(さんぷう)は、翁の門人、東都小田原に住む。本名、鯉屋藤左衛門といい、魚店を営む。


○ここまでが序文である。

 草の戸も住替わる代ぞひなの家

頃は二月末、上巳の節に近いため、雛を売る商人が、翁の空いた庵を借り、売り物を入れて倉庫としたゆえ、この句があるという。もちろん雛の家箱には、あるものは二つの人形を一緒に入れ、またあるものは大小に箱を入れ替え、と毎年収蔵時に定めのないものなので、「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」の心にて人生の常ないさまを観想した句といえよう。

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