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2010年6月 4日 (金)

奥の細道行脚。第二回「旅立ち」

【奥の細道】
 弥生も末の七日。あけぼのの空朧々として、月は有明、光も収まろうとする中に富士の峰がかすかに見える。上野、谷中の花のこずえ、またいつ見られようかと心細く思われる。親しいもののみ、宵より集い、舟に乗り込み送ってくれた。千住という所で舟より上がれば、前途三千里の思い万感となって胸ふさがり、今は幻のようなちまたに離別の涙をそそぐ。


 行春や鳥啼魚の目は泪


鑑賞(今、遥か遠くへと旅立って行く。別れを惜しみ、また行く春を惜しむかのように鳥も泣き、魚すら涙を流しているように思われてならぬ)


 この句を旅の矢立はじめとしたものの、足取りはなかなかに進むものではない。人々が途中に立ち並び、後姿の見える間は、と見送ってくれるからであろうか。



【曾良旅日記】

  巳三月二十日、芭蕉とともに発つ。深川で舟に乗る。巳の下刻、千住にて下舟。
一 二十七日夜、粕壁に泊まる。江戸より九里余り。

一 二十八日、間々田(ままだ)に泊まる。春日部より九里。前夜より雨が降る。
 辰の上刻、雨が上がったので宿を出た。しかしまた降りだした。午の下刻にやむ。この日、栗橋の関所を通る。手形を願い出たが、不要であった。


【奥細道菅菰抄】

弥生も末の七日

三月二十七日のこと。三月は草木が盛んに生長する時なので、「いやおい月」とする。いよいよ生じる、と意味である。略して「やよい」という。

月は有明、光も収まろうと

『源氏物語』箒木の巻の文章より。

富士の峰がかすかに見える

駿河の国、富士郡にあり。孝謙天皇五年六月、一夜にして出現したという。祭神は、木花開耶姫、浅間権現と称する。鳥居の額に、三国第一山、とあるゆえに「不二山」とも書く。むろん名所であり、世人の知るところ。

上野、谷中の花のこずえ

上野は東都の牛寅にあって、山を東叡、寺を寛永という。寛永年間、慈眼大師開基の霊場であり、西都の比叡山を模すという。この地はもと、藤堂家の館地であり、地勢が伊賀の上野の城に似ているため、この名があるという。今、山口に車坂・屏風坂などがあるが、みな伊賀上野の坂の名をもらったという。谷中は上野の西。感応寺という天台宗の大伽藍があり、上野に隣接する。この二つの地域には、特に花木が多く、遊覧の地である。

宵より集い

つどいは、「湊輳」の字を用いる。より集まることである。

千住という所で

奥州往来の最初の宿駅。

前途三千里の思い

この五文字は、古詩文中の一句であることは間違いない。出典は調査中。あるいは、『古文前集』に、「此を去って三千里」という意味か。前は「すすむ」と訓じる。途は「みち」で、前途は「行く先」ということである。

幻のようなちまたに

『詩経』にも、「夢幻泡影の如く、露の如く、また電の如く」と説き、俗に夢の世というように、人生のはかなさを喩える。

 行春や鳥啼魚の目は泪

 杜甫の春望の詩に、「時を感じては花も涙をそそぎ、別れを恨みては鳥も心を驚かす」。『文選』の古詩に、「王鮪河岬をおもい、晨風(鷹のこと)北林を思う」。『古楽府』に、「枯魚河を過ぎて泣く、いずれの時か還りてまた入らん」。これらを趣向とした句であろう。


『奥の細道 曾良旅日記 奥細道菅菰抄 全現代語訳』能文社2008
http://bit.ly/cnNRhW

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