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2010年6月22日 (火)

奥の細道行脚。第八回「しのぶの里」

P1040196 【奥の細道】

 明けて、しのぶ文字摺りの石を尋ね、忍ぶの里に行く。遥か山陰の小村に石がなかば埋もれて出ている。里の童が来て教える、
「昔はこの山の上にありました。往来の人が、畑の麦の葉を荒らしては、この石で摺って試すので、これを憎みこの谷に突き落としたのです。それで石の表面が下となってこのように埋まってしまいました」。
 そういうこともあるのだろうか。


 早苗とる手もとや昔しのぶ摺


鑑賞(早苗をとる早乙女たちの手もとをみれば、昔この石で文字摺りをしたゆかしい習慣がしのばれるのではあるが)


【曾良旅日記】

 二日。快晴。福島を出る。町外れを十町ほど行くと、五十辺村の外れに川がある。この川は越えず右手へ七、八丁行って阿武隈川を船で渡る。岡部の渡しという。ここから十七、八丁山の方へ行くと谷間に文字摺りの石があった。古い柵がある。草葺観音堂あり。杉、檜六、七本。虎の清水という小さく浅い泉がある。福島の東方。このあたりを山口村という。ここから瀬上へ行くには、岡部の渡し下流の月の輪の渡しより越えることになる。ここを渡れば十四、五丁で瀬上に着く。山口村から瀬上までは二里ほどである。


【奥細道菅菰抄】

福島に泊まる…
しのぶの里…
明けて、しのぶ文字摺りの石を尋ね、忍ぶの里に行く

福島は、往来の駅で板倉家の館下である。絹を産する。世に福島絹と呼ぶ。
ここから、しのぶの里にいたるまで、すべて信夫郡となる。

文字摺りは、『古今集』、「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆへにみだれんとおもふ我ならなくに」、河原左大臣。
『後拾遺集』、「君にかくおもひみだるとしらせばやこころの奥のしのぶもぢずり」、後法性寺関白。などという、証歌が残り、名物である。(今、福島よりもぢずりという染め絹を産出する。模様は石目、または紅縞でしのぶ草の葉で染める)

『童蒙抄』にいう。「もぢずりとは、陸奥信夫郡で摺りだす、摺染めの名。摺り重ね、乱れ紋様を打ち出す」。

栄雅の説によると、信夫郡に大石が二つあったという。石の表面は平らで、捩れた紋様がある。これに押し当て藍で染め出した布を、むかし年貢に奉った。天智天皇の御代のことである。

『八雲御抄』では、忍ぶ草を紋様にした摺り染めであるという。

『奥の細道 曾良旅日記 奥細道菅菰抄 全現代語訳』能文社 2008
http://bit.ly/cnNRhW

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