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2010年3月26日 (金)

"通訳案内士"座右のハンドブック。

海外のお客様をご案内する国家資格、"通訳案内士"。案内士の実践ノウハウを集約した「通訳ガイドハンドブック(首都圏版)」できました!http://www.ijcee.com/koza/guide/text2010.html

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2010年3月16日 (火)

3/17(水)「寺子屋素読ノ会」昼間クラス

明日3/17(水)「寺子屋素読ノ会」昼間クラスあります!「風姿花伝」13:00~、「南方録」15:00~。参加費¥1500、入会金・申込不要。一回のみの参加も大歓迎ですー。http://nobunsha.jp/img/terakoya%20annai.pdf

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2010年3月13日 (土)

大きな死人が浜にあがる話

 「今は昔…」ではじまる『今昔物語』。平安末成立、全三十一巻、千数百話収録、わが国最大の説話集といわれています。学校の教科書で芥川龍之介の「羅城門」や「芋粥」読みましたよね。「仏教史観により語られる中世物語」「繊細華美な王朝文学に対する、雄渾な男性的文学の暁鐘」などと評されていますが、実は、これほど興味本位、猟奇的かつ奔放な逸話を集めた庶民感覚の文学は他に類を見ないほどのものなのです。現代で言えば、さだめし女性週刊誌やスポーツ新聞なみか。まず、その見出しだけでも一部ご覧ください。

大力の僧が賊をいじめる話
蛇と力競べをした相撲人の話
碁の名人が女に負かされる話
蛇の婚いだ娘を治療する話
地神に追われた陰陽師の話
朱雀門の倒れるのを当てる話
無学の男がわからぬ歌に怒る話
鷲に赤んぼを取られる話
蕪とまじわって子ができる話
百足と戦う蛇に加勢する話
無人島に住みついた兄妹の話
犬の鼻から蚕の糸が出る話
雨宿りして金持ちになる話
芋粥を食って飽きる話
下女に打ち殺された武士の話
水の精が人の顔を撫でる話
怪しのものが御燈油を盗む話
鬼のため妻を吸い殺される話
寝ている侍を板が圧し殺す話
嫉妬心から妻が箱をあける話
死んだ妻とただの一度逢う話
同じ姿の乳母が二人もいる話
応天門の上で青く光る物の話
産女の出る川を深夜に渡る話
屈強の侍どもが牛車に酔う話
大事な場所で一発鳴らす話
鼻を持ち上げて朝粥を食う話
米断ちの聖人が見破られる話
尼と木伐が山中で舞を舞う話
猫におびえた腹黒い大夫の話
亀に抱きつき唇を食われる話
胡桃酒を飲んで溶けうせる話
盗賊から身の災難を教わる話
羅城門の楼上で死人を見る話
大江山の藪の中で起こった話
丹波の守が胎児の生胆を取る話
新羅の国で虎と鰐とが闘う話
助けられた猿が恩を報じる話
葦を刈る夫にめぐりあう話
信濃の国にあった姨捨山の話
海松と貝によって縁を戻す話
別れた女に逢って命を落とす話
道に迷って酒泉郷を訪ねる話
馬に化身させられた僧の話
死んでも舌が残った僧の話
岩と化した尼さんを見る話
女の執念が凝って蛇となる話
京の町で百鬼夜行にあう話
鬼の唾で姿が見えなくなる話
僧の稚児さんが黄金を生む話
銅の煮湯を飲まされる娘の話
密造した酒の中に蛇がいる話
木の梢に現れ給うた仏の話
まちがって魂が他人にはいる話


 いかがですか?それではその中から一話、ご紹介です。


大きな死人が浜にあがる話

 今は昔のこと、藤原の信通の朝臣と呼ばれた人が、常陸の守としてその任国にあった時に、たまたま、任期の果てる年の四月ごろ、風が物凄く吹いて海が荒れた晩に、某の郡の東西の浜というところに、大きな死人が打ち寄せられた。
 死人の丈の長さは、五丈(註 約15m)あまりもある。砂の中に半分ほど埋まっていたが、役人が馬の背に乗って、向こう側から近寄ったのが、わずかに手にした弓の先だけが、こちら側から見えた。もってその大きさが知れよう。死人は首から上が切れていて、頭はなかった。また、右の手、左の足もなかった。鰐かなんかが食い切ったものであろう。もしも、それが五体満足であったとしたなら、さぞや驚くべきものであったに違いない。また、俯向きに寝ていたから、男であるか女であるかもわからない。けれども、身体の格好や肌つきなどは、女のように見えた。
 国じゅうの人が、ふしぎな死人だというので、見物は引きも切らず、みなみな大騒ぎをした。また、陸奥の国の海道というところにいた、国司の某という人も、とんだ大きな死人が浜にあがったと聞いて、わざわざ使いの者を出して検分させた。砂に埋もれて男女の別もつけがたいが、多分女であろう、と見たのに対し、見物の名僧などの意見は、
「われらの住む世界のうちに、このような巨人の住むところがあるなどとは、仏の御言葉にもありませぬ。もしや阿修羅女(鬼女)などではありませぬかな。肌などもすべすべして、いやどうもそのような気がする」
 などと疑った。
 ところで常陸の守は、
「これはついぞ見ぬ珍事であるから、お上にさよう申し上げずばなるまい」
 と言って、今にも報告を持たせて、使いを京にのぼせようとしたが、下についている者たちは、
「もしも報告がお上に届けば、官使がおくだりのうえ、七面倒くさい調査があるのはきまったこと。そのうえ、官使の一行には、たいそうなもてなしをしなければならず、いっそのこと黙って知らぬ顔をしたほうが、都合がいいのじゃないでしょうか?」
 と口々に言ったので、守もその気になり、報告は取りやめにしてしまった。
 一方、この国に、某といわれる武士があった。この巨人を見て、
「もしもこんな巨人が攻め寄せてきたら、何として防ぐ?いったい矢が立つものかどうか、ためしてみよう」
 と言って、矢を放つと、矢は深くその身体に突き刺さった。これを聞いた人は、
「用心のいいことだ」
 と言ってほめた。
 ところでこの死人は、日がたつにつれて腐ってきたので、あたり十町二十町の間は、人も住めず、逃げ出した。よっぽど臭かったものであろう。
 この話は初め隠してあったが、常陸の守が京にのぼってから、いつのまにか人に知られて、このように語り伝えられたものである。

(巻三十一 第十七話)『今昔物語』福永武彦訳 ちくま文庫

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能と狂言【語りと間の至芸】

●素謡「鸚鵡小町」 シテ梅若玄祥 ワキ片山幽雪 3月14日(日)10:30-  京都観世会館 ●素狂言「武悪」 茂山千作、山本東次郎、茂山千之丞 3月20日(土)14:00- 金剛能楽堂

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2010年3月11日 (木)

カルチャー講座 『能と物語文学・伝説』 『戦国武将と茶の湯』

●『能と物語文学・伝説』~西行物語、景清、道成寺、羽衣伝説のルーツを能にたどる。
〈名古屋栄・中日文化センター〉4/1スタート。毎月第1木曜日(昼)1:00~ 全6回。物語や民俗伝承がどのように能に組み込まれ演劇作品として命を与えられたのか?能舞台のDVDも鑑賞。

●『戦国武将と茶の湯』 ~信長・秀吉の名物狩りと天下一茶頭の誕生。
〈名古屋栄・中日文化センター〉4/1スタート。毎月第1木曜日(夕)3:30~ 全6回。信長お茶の湯政道、本能寺の変・大坂夏の陣を生き残った名物道具など、戦国茶の湯秘話を茶書、史書を紐解きながら学びます。

http://www.chunichi-culture.com/mgcgi/mgrqcgi.cgi

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2010年3月 8日 (月)

公開講座「佐渡と世阿弥伝説」

池袋コミュニティ・カレッジ 3/22(月祝) 13:00〜14:30 http://www.7cn.co.jp/cc/topics/index2.html 七十一歳の世阿弥がなぜ佐渡へ配流となったか?晩年の世阿弥、歴史の謎を検証します。

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2010年3月 4日 (木)

風さそう花よりも猶我はまた<辞世の句>

人は人生の終焉を迎えるにあたって、一体何を感じ、思うのか。古来より日本人は特に「辞世の句」に注目し、重んじてきました。今回は、誰でも知っている超有名なものから(タイトルの句はわかりますよね)、無名の一般人の心を打つ句まで、当庵独自のくせのあるセレクトでご紹介してみたいと思います。まだ何十年先かもしれないし、今週末かもしれない…。その時がやってきたとき、自分は何を思うのか、またどうあるべきか。末期の予行演習をしておくためにも、心にブックマークしておきたい名句を集めてみました。



★芸術・芸道★

●山崎宗鑑(一五五三没 享年八十九)
辞世の句
「宗鑑はいづこへと人の問うならば ちとようありてあの世へといえ」

俳諧の創始者。はじめ足利義尚に仕えるが、その死に出合い、世の無常を感じ剃髪して尼崎に隠棲する。ついで一休禅師に従う。和歌・連歌を習うが、風狂の人として俳諧の普及につくす。

「切りたくもありきりたくもなし」
という句の附句三句を望まれ、

「盗人をとらえて見れば我が子なり」
「さやかなる月かくせる花の枝」
「心よき的矢の少し長いをば」
と答える。


●千利休(一五九一没 享年六十九)
辞世の偈
「人世七十 力圍希咄(カーッ、トーッ)吾這宝剣 祖仏と共に殺す 堤ぐる我が得具足の一つ太刀 今この時ぞ天に抛」

茶道の完成者。千家流茶道の開祖。16歳のとき京都で茶会を開き、茶の湯の世界に登場。天正13年(1585)秀吉の関白就任にあたり、禁中小御所で茶会が開かれたとき、天皇に茶を献じて利休居士の号を贈られる。天正18年、秀吉の怒りを受け、翌年2月28日切腹。


●松尾芭蕉(一六九四没 享年五十)
辞世の句
「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」

俳人。伊賀の生まれ。京都に行き北村季吟に入門して俳諧、和歌を学ぶ。天和5年、江戸深川に居を定め、剃髪して俳諧の研究に努める。諸国を遍遊して、元禄7年10月大坂の旅宿にて没する。有名な「奥の細道」は元禄2年の作である。


●安藤広重(一八五八没 享年六十一)
辞世の句
「東路に筆を残して旅の空 西のみくにの名所を見む」

江戸末期の浮世絵師。風景版画の連作に名をなし、また花鳥画にも新境地を開
いた。作は「東海道五十三次」「江戸名所百景」など。


★庶民★

●商人の娘(年代不明 享年二十八)
辞世の句、三句
(題:湯灌いや)「おのづから心の水の清ければ いづれの水に身をや清めん」
(題:経かたびらいや)「生まれ来て身には一重も着ざりけり 浮世の垢をぬぎて帰れば」
(題:引導いや)「死ぬる身の教えなきとも迷うまじ 元来し道をすぐに帰れば」

「黒甜瑣語」にのっていた話。丹波の国の商人の娘、28歳で死亡したが、上の
辞世の句三首を残していた。


●乞食女(一六七二没 享年不明)
辞世の句
「ながらえばありつる程の浮世ぞと 思えば残る言の葉もなし」

寛文12年4月、京都三条橋の下で20歳あまりの乞食女の遺体が発見された。自害とみられ、かたわらには上の辞世の句が残されていた。
これが都で評判となり、ある貴族もこれに対して歌を詠む。

「言の葉は長し短し身のほどを 思えば濡るる袖の白妙」(新著聞集)

彼女の意図に反し、三百年以上も「言の葉」は残り、今も聞くものの心を打つ。



★僧★

●一休(一四八一没 享年八十八)
遺偈
「須弥南畔 誰か我禅に会う。虚堂来る也。半銭に値せず」
(意訳:この世界、誰が我を理解できよう。虚堂が来て禅を示そうと、半銭にも値しない)

室町時代の禅僧。30歳頃から風狂さが発揮される。文明13年、持病の瘧(熱病)が悪化し、11月酬恩庵にて死亡。その最後の10年間、盲目の森侍者と夫婦として過ごしたという。


●関山国師(一三六〇没)
遺偈
「断じて仏祖を截る 吹毛常に磨す 機輪転ずる処…」

関山国師(無相大師)は片足が短く、座禅は半跏座であった。死に臨んで斧を取り、自分の足を切り折って結跏座を組み、上の辞世の句を詠んだ。しかし、「機輪転ずる処…」と書いたところで息が止まり、筆を投げ捨て歯を食いしばって果てた。側にいた鉄堂和尚がただちに末句を詠みつぐ。

「…虚空牙を噛む」


★武将★

●柴田勝家(一五八三没 享年六十一)
辞世の句
「夏の夜の夢路はかなき跡の名を 雲居にあげよ山郭公」

武将。織田信長家臣。本能寺の変以後、織田氏の後継者問題で秀吉と対立。天正11年4月、近江賎ケ岳で敗れ、居城の北ノ荘城で、敵軍包囲の中を最後の酒宴を催し、翌日夫人(お市の方)と共に天守閣に登り、火を放って自刃する。夫婦の辞世の句である。
お市の方がまず、

「さらぬだに打ちぬる程も夏の夜の 夢路をさそう郭公かな」

と辞世の句を詠む。これに応えて勝家は、上の句をつけた。
お市の方、享年三十七。


●豊臣秀吉(一五九八没 享年六十三)
辞世の句
「露と落ち露と消えにし我身かな 難波の事も夢のまた夢」

武将。父は織田家足軽。信長に仕え、天正1年(1573)近江長浜城主となる。本能寺の変の後、光秀を討ち、天正18年に天下統一を成し遂げる。文禄・慶長の役(1592~98)を起こし朝鮮に出兵。慶長3年8月、「虚損の症」(ガン)で伏見城にて死亡。上の辞世の句は、天正15年、秀吉51歳の時のもの。


●徳川家康(一六一六没 享年七十五)
辞世の句
「嬉しやと二度さめて一眠り うき世の夢は暁の空」

徳川初代将軍。今川義元・織田信長と結び武田氏は滅ぼす。ついで豊臣秀吉と和し、天正18年(1590)関八州に封ぜられて江戸城に入る。秀吉の没後伏見城で執政、慶長5年(1600)関ヶ原の戦で石田三成らを破り、征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開く。元和2年1月腹痛をおぼえ、容体が悪化して4月17日死亡。棺は久能山に納められる。


●浅野内匠守(長矩) (一七〇一没 享年三十五)
辞世の句
「風さそう花よりも猶我はまた 春の名残りをいかにとかせん」

播州赤穂藩5万3千石の藩主。元禄14年3月11日、勅使饗応を幕府より仰せ付けられ、吉良上野介(義央)に教示を求めるも、拒否・侮蔑され、3月14日午前 10時、吉良(当時60歳)を江戸城本丸松の廊下で切りつける。これにより奥 州一関城主田村邸にお預けとなり、同日午後6時、出合の間の庭にて切腹。長矩の遺体には蒲団がかけられ、泉岳寺に葬送された。


●大石内蔵助(良雄) (一七〇三没 享年四十四)
辞世の句
「あら楽し思いは晴るる身は捨る 浮世の外にかかる雲なし」

浅野長矩の家老。赤穂浪士の頭領。通称、内蔵助。兵学を山鹿素行に学ぶ。元禄14年(1701)3月、主君長矩が吉良義央刃傷のため切腹。翌年12月、同志と 共に夜吉良邸に討ち入り、本懐を遂げる。明くる年の2月4日切腹。

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2010年3月 1日 (月)

本日は寺子屋「葉隠」「風姿花伝」

寺子屋A「葉隠」 17:30-19:00
寺子屋B「風姿花伝」 19:30-21:00
http://nobunsha.jp/img/terakoya%20annai.pdf

「葉隠」は聞書一「老剣術者の述懐」を読みます。修行とは一生打ち続くもの。ものごとなんであれ、これまででよい、ということはなく、ひたすら鍛錬と工夫を積み重ねていく。それが「道」である、と剣聖宮本武蔵も五輪書で述べています。

「風姿花伝」は、第二「物学條々」を読みます。物学とは"ものまねび"、すなわち物まねのこと。物まねは今日いう形態模写のことではなく、さまざまな「もの」から「まなぶ」ことです。実は「もの」は、日本文化においては、平安時代の「もののあはれ」に代表されるように、神や霊、鬼、ものなど、実に多様な概念を表わしたものでした。

http://nobunsha.jp/blog/post_42.html

世阿弥がまなぼうとした対象は、雑多な人種はともかくとして、神や鬼など目に見えぬ不思議な力をもつ"存在"であったことがわかります。

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