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2009年12月13日 (日)

いろは歌は、古代の怨念とSOSのメッセージ〈前編〉

 七五調のリズムと同様、ぼくたち日本人の血の中を脈々と流れる四十七個の音球。それが、いろは四十七文字で、この文字をひとつずつ、全く重複なしに編んだ歌がいろは歌です。

 いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ…。

日本人なら誰でも知っている、もっとも有名で、もっとも美しく完成された歌。これは一体いつ、誰が、何のためにつくったものなのか。意外と知られていないのではないでしょうか。また、この歌が伝えようとした表向きのメッセージと、隠された真実のメッセージとは何か。今回、日本語ジャングルでは、いろは歌に封印された、古代の悲しいメッセージを読み解いていきます。

 〈前編〉では、いろは歌の成立・内容・歴史、どんなことが歌われているのか、隠されたものは何か。次号〈後編〉では、隠された暗号の解読と、さまざまな日本語研究分野での斬新な解釈を紹介していきます。



1.いろは歌の成立と歴史


字母歌「いろは」   いろは歌

いろはにほへと    色は匂へど
ちりぬるを      散りぬるを
わかよたれそ     我が世誰ぞ
つねならむ      常ならむ
うゐのおくやま    有為の奥山
けふこえて      今日越えて
あさきゆめみし    浅き夢見じ
ゑひもせす      酔ひもせず

(松村明編『大辞林』三省堂)



上が、いろは歌の仮名書きオリジナルと、漢字表記と濁点を付した読み下し形
のものです。
いろは歌は、代表的な日本人の手習い歌の一つ。七五調四句の今様形式になっています。その仮名の配列順は、今日の「五十音」と同様に、「いろは順」として中世~近世の辞書類等に広く利用されました。
また、いろは歌は、47文字すべての仮名を一度だけ使って作られている歌で、これを字母歌と呼びます。47文字から成り立つ字母歌は、確かに日本語を表記するために用いられる全ての表音文字を1個ずつ含んでいるだけでなく、歌としてすぐれた文芸性を表現し、なおかつ見事に一貫した文脈を形成して、重層的なメッセージを投げかけているのです。


いろは歌が、文献上に最初に見出されるのは1079年成立の『金光明最勝王経音義』であり、大為爾の歌で知られる970年成立の源為憲『口遊』には同じ手習い歌としてあめつちの歌については言及していても、いろは歌のことはまったく触れられていないことから、10世紀末~11世紀中葉に成ったものと思われます。
いろは歌の作者は不詳です。院政期以来、空海作とされてきましたが、その可能性は現在ほぼ否定されています。空海の活躍していた時代に今様形式の歌謡が存在しなかったということもありますが、何より最大の理由は、空海の時代には存在したと考えられてい上代特殊仮名遣の「こ」の甲乙の区別はもとより、「あ行のえ(e)」と「や行のえ(je)」の区別もなされていないことです。
ただし、「や行のえ」については、破格となっている2行目に「あ行のえ」があった可能性(わがよたれそ えつねならむ)を指摘する説も出されていますが。


いろは歌は、本来、無常観を歌った極めて仏教的な内容の歌とされてきました。新義真言宗の祖である覚鑁は『密厳諸秘釈』の中でいろは歌の注釈を記し、いろは歌は世に無常偈として知られる『涅槃経』の偈「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」の意であると説明しました。
以下に、いろは歌の各句と涅槃経の偈との対応関係を示します。


いろは歌        『涅槃経』の偈

色は匂へど散りぬるを  諸行無常
我が世誰ぞ常ならむ   是正滅法
有為の奥山今日越えて  生滅滅己
浅き夢見じ酔ひもせず  寂滅為楽



2.いろは歌には何が歌われているのか(表の意味は?)

まず、各句の語釈を、見ていきましょう。以下のサイトからご紹介します。

FC2ブログ「ことばの遊歩道」より
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/iroha.htm

 「色はにほへど(におえど)散りぬるを」 「散り」とあるので「色」が花の色であることが分かる。「にほふ」は何かが視覚的に映えることを示し、現代語のような嗅覚的な意味ではない。嗅覚的な意味の場合は、古語では百人一首の「ひとはいさ心も知らず故郷は花ぞ昔の香ににほひける」の歌にあるように、「香ににほふ」という。「色はにほへど散りぬるを」は、「花の色は鮮やかに映えるけれども、(いずれは)散ってしまうものなのに」という意味である。

 「我が世たれぞ常ならむ(ならん)」 「私の生きているこの世で誰が一定不変であろうか、いや誰も一定不変ではない」という意味である。「誰」は現代語では「だれ」と濁るが、古語では濁らない。ヘミングウェイの小説の訳題である「誰(た)がために鐘は鳴る」や「たそがれ」を思い出していただきたい。「たそがれ」は「誰そ彼れ」であり、夕暮れ時の闇で人の顔の識別が難しいことからできたことばである。「ぞ」は「それ」の「そ」と同じ語源で古くは清音だったが、平安時代からは濁音となった。

 「有為の奥山今日越えて」 仏教的な世界観では万物は何らかの原因があってこの世に存在している。「有為」とは原因があることを示す語だが、ここでは、原因があって存在している万物を意味している。万物で満たされたこの世を一日生きることを山を越えることにたとえて、このように表現している。

 「浅き夢見じ酔ひ(えい)もせず」 「はかない夢など見るまいよ、酔っているわけでもないのに」という意味である。「酔ふ」はもともと「ゑふ」といった。それが現代語で「えう」にならず「よう」になった経緯については、塔婆守のホームページの中の「やまとことばレッスン」の第48回を御覧いただきたい。「酔えば」を「ええば」では言いにくいであろう。


いろは歌を覆うトーンは、仏教末法思想による、平安時代特有の無常感だといわれています。
『方丈記』で鴨長明が克明に記録した、京中いたるところに人の死骸が散乱する”地獄図絵”は、この時期相次いで京都を襲った天災、大火災・大地震・飢饉・日照り・洪水などの自然災害が原因です。
 さて、それではいろは歌全文の解釈を見てみましょう。後述する、篠原央憲『いろは歌の謎』から以下、一部引用します。


一般には、次のような意味とされている。
 「この世に、はなやかな歓楽や生活があっても、それはやがて散り、滅ぶものである。この世は、はかなく無常なものである。この非常なはかなさを乗り越え、脱するには、浅はかな栄華を夢見たり、それに酔ってはならない」
 しかし、私は「いろは歌」の本当の意味は、かなり違っているものと考えている。「いろは歌」は、もっと悲壮で恨みに満ちた歌なのである。私は次のように訳す。

 「自分はかつて栄光の座で華やかに生きたこともあったが、それはもはや遠い過去のものとなった。この世は明日が分からない。いま栄華を極めるものも、いまにどうなるかわからないのだ。生死の分かれ目の、厳しい運命のときを迎えた今日、自分はもう何の夢を見ることもないし、それに酔うこともない」

 最初の訳は、普通一般の訳であり、いわば仏教の教理であり、人生の教訓である。つまり、これが表向きのテーマである。これなら警戒されることはない。これまでの研究者はすべてこのように解釈し当然作者は弘法大師か、そうでなくともたれか僧侶か仏教関係者であろうとしていた。だが、第二の訳になると、ここではテーマがまったく逆転する。悟りの教えどころか、個人の怨念であり絶望感そのものである。実に暗鬱なニヒリズムがただよっているのだ。

この「個人の怨念・絶望感」「暗鬱なニヒリズム」とは、一体何を意味するのでしょうか。


3.いろは歌に隠されたものは何か。

 いろは歌には、ある人物のメッセージが暗号として隠されている。その驚くべき事実は、上古の為政者が打ち立てた日本正史を根底から覆すものであり、記紀・万葉集の成立の謎を解き明かす…。今から約20年前、いろは歌、万葉集などに隠された古代人の暗号メッセージを解読することにより、全く新しい歴史観を樹立・展開する「古代史暗号」ブームが巻き起こりました。このブームの中で、『水底の歌』梅原猛、『猿丸幻視行』井沢元彦、『もうひとつの万葉集』李寧熙など数々のベストセラーが生み出されました。
 今回、いろは歌の暗号をデコードするため、下2冊のすぐれたナビゲーションをご紹介しましょう。

『いろは歌の謎』 篠原央憲 光文社 1976 http://www.japanology.cn/paper/jp/06sinohara_iroha.htm

『いろは歌の暗号』 村上通典 文藝春秋 1994 http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-03.htm


 『いろは歌の謎』『いろは歌の暗号』ともに、デコードされた暗号(キーワード)は同じです。そして、このキーワードの発見が、前述の古代史再構築の暗号ブームを引き起こすこととなりました。デコードのアルゴリズムとキーワードに関わる主要人物は両著とも同じですが、その仮説検証の方法、暗号作者の特定、そして何より主要人物特定後の経緯の推理・プロットが、二著ではまったく異なります。
 それでは、まずは隠された暗号とは何か、見ていきましょう。村上通典『いろは歌の暗号』を、コンパクトに読書ガイド化した、HP

「いろはかるた漫談」
http://www.tokaido.co.jp/lab/wada/iroha.htm

より、本著のエッセンスを抜粋、再構成してご紹介します。


●いろは歌の暗号解読より浮かび上がる言葉は

 簡単に謎解きの例を要約します。
いろは歌を7文字で折り返して記述すると行の終わりに並ぶ文字「沓」を上から下に読んで行くと,「とかなくてしす」と読めます。

い ろ は に ほ へ と ↓
ち り ぬ る を わ か ↓
よ た れ そ つ ね な ↓
ら む う ゐ の お く ↓
や ま け ふ こ え て ↓
あ さ き ゆ め み し ↓
ゑ ひ も せ す ←

つまり「咎無くて死す」になるのです。そこでこれは,無実の罪を着せられて死んだ,万葉の歌人,柿本人麿が怨念を込めて残した暗号では無いか? と推理できるのです。

 しかし,この説には時代考証上の無理があって,一笑に付された経緯があるのですが,誰かが柿本人麿の思いを暗号にして後世に伝えようとしたことは確かでしょう。
『いろは歌の謎』を書いた篠原央憲は,この暗号を,偶然作業中に気づいたと書いています。
それほど,この暗号は巧妙に隱され続けていましたが,すでに江戸時代には,気づかれていたようです。
 井沢元彦の「猿丸幻視行」(前述)は「かきのもと」の5字が,巧妙に折り込まれていることを推理して好評を得た作品でした。

い (ろ) は に ほ へ (と)
ち り ぬ る を わ [か]
よ た れ そ つ ね な
ら む う ゐ [の] お く
や ま け ふ こ え て
あ さ [き] ゆ め み し
ゑ (ひ) [も] せ す (ま)

中央の[の]に注目して下さい。右上の[か]に対して[の]を中心に対象の位置にある文字は[き] です。
同じく右上の(と)に対して「の]を中心に対象の位置にある文字は[も]です。
左上の(ろ)に対して[の]を中心に対象の位置には本来文字がありません。
ここに(ま)をあてるのは江戸火消し48組で,「万」組を作ったりした事例からみて,文字の最後を「万」つまり(ま)にしても無理ではありません。
ちなみに,江戸火消し48組では,「へ」は「へ」のようで失格。「ら」は男根の意味なので禁句,「ひ」は火に通じてやっぱり禁句という分けで,それぞれ「百」組,「千」組,「万」組に代えられています。
こうして列挙すれば,[の]を中心とした斜め右上から左下への往復で、[か][き][の][も](と)が表れます。
そして,これらの文字が格納された正方形の対角に着目すると、(ひ)(と)(ま)(ろ)が表れるのです。


(次回〈後編〉へ続く。)


【言の葉庵】メールマガジンより
http://nobunsha.jp/anshu.html#melma

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