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2009年12月 5日 (土)

戦国武将の茶の湯三昧

 茶の湯の根本精神を言い表す言葉に、「一期一会」と「和敬清寂」があります。なにゆえ戦国期に信長、秀吉をはじめ多くの武将があれほど茶の湯に没頭したのかは、いまだに中世日本文化史上、とりどりに詮索されるところ。信長が手柄へ城の代わりにとびきり高価な唐物茶器を与えはじめ、武将はこぞって茶道具蒐めに目の色を変えたため。禅と強く結びついた侘び茶の精神が、戦国武将の生き方に合致したため。狭い茶室で、武将同士が誰にも知られず密約を交わすため…。

 様々な論説がある中、戦国期の茶の湯成立について「茶の湯が媒介する結縁性」を指摘するある論考が目を引きます。婚礼などの場で古くから日本民族の慣習として”茶礼”が盟約として行われてきたという。戦国期、それまでの将軍家や貴族など既成の権力構造が瓦解し、また親子が争い、兄弟が領土を奪い合う下克上の時代となる。この時代、信じられるものはただ己の力のみ。そして昨日の敵とも胸襟を開いて新たな”縁を結ぶ”こと。それが戦国武将にとって明日を生き抜く唯一の手段。その”縁を結ぶ”場として、城の大広間でもなく、酒宴の幕内でもなく、小間の茶室が選ばれた、とする説です。身に寸鉄を帯びず、膝と膝が触れる距離で、関白も平侍も商人も、一個人として茶を点て互いにすすめ、本音で語り合う。時に密約もささやかれたかもしれませんが、こうした裸の人間同士の会話が、ほとんどの茶席を占めていたに違いない。そしてその場の不文律が「一期一会」と「和敬清寂」なのです。今日も戦、明日も戦。相手の顔を見るのもこれが最後かも知れぬ。そのかけがえのない貴重なひととき、一期を主客は互いに尊び、惜しんだのです。

 茶の湯の「一期一会」「和敬清寂」をよく伝える暖かい逸話をひとつ、ご紹介したい。まずは原文からご賞味ください。


『久重日記 坤』寛永十七年卯月十七日

 古田織部は桑山左近と久々仲悪しく候也。
ある時忠興公、織部所へお出で候時、相客は谷の出羽也。春田又左衛門も召し連れらる。しかれば桑山左近に同道するぞと云ふ。左近答えていはく、われら仲よろしからず候。参り候事ならず、とて一切合点せざるを無理に、ぜひ嫌なれども同道申すべく候と云へば、左近いはく、その儀ならば織部方へ其由仰せ遣わさるべく下され候と云ふ。三斎公、それに及ばずとて、同道にてお出で候へば、織部も左近殿と云ひ、左近も忝し、と云ひし也。
 この時風炉下に殊のほか手間入る。余りなる事ゆえ、三斎公、さてさて手間入り候ことかな、大方にて置き候へ、と云へば、織部答へていはく、何とも何とも御前にて仕り兼ね候と云ふ。炭仕廻候時寄りて見れば、織部は勝手へ入り障子を立て引き入り候也。炭さても見事、風炉の内斯様にも成る事候かな、是でも難あるやと、左近へ三斎公云へぱ、左近答へていはく、さてもさても見事成ることかな、驚目候。織部殿数奇上がり殊のほか見事になり申し候と云へば、障子の内にて織部くつくつとふき出し笑ひ候也。左近も笑ひ、我等も笑ひ候也。皆々大笑と御物語候也。

・現代語訳(能文社 2009)

 寛永十七年四月十七日のこと。古田織部は桑山左近とは長年犬猿の仲であった。ある時忠興公が、織部邸へ茶に参る。相客の谷出羽守に加え、春田又左衛門も召し連れた。そこで桑山左近へ、
「そなたも同道されよ」
 と誘う。左近は答える。
「織部殿とはしっくりいかぬ。ご同道はいたしかねる」
 と、なかなか同意せぬゆえ、忠興公は無理強いして、
「気が進まぬもわからぬではないが、たって一緒に参ろうではないか」
 といえば、左近もいう。
「その儀ならば、それがしも同道の由、前もって織部殿にお知らせ願いたい」
 三斎(忠興)公、「それには及ばず」と左近を無理に連れて参ったものだ。ところが着いてみれば、織部は「よういらっしゃった左近殿」というし、左近も「お迎えかたじけなし」、などと互いに平気な顔。
 さてこの時、織部は風炉灰にことの他手間取っていた。あまりに時間がかかり過ぎるので三斎公は、
「さてもさても手間のかかることよ。大方に置かれたならばよかろう」
 といった。織部の答えは、
「何としてもこのたびはご両人のご前ゆえ、難しゅうござって」
 というばかり。さて、炭を仕廻うに際し客衆が寄って拝見しようとすると、織部は勝手へ入り、障子を閉てた。三斎公は、
「さても見事な炭。風炉の内、このようにも作れるものかな。これでも難ありといえようか」
 と、左近へ振り返ると、
「さてもさても見事なることかな。まったく驚き申した。織部殿の数奇一段と上がり、ことの他立派な宗匠となられたものよ」
 と左近が答えると、障子の内で織部は、くつくつとふき出し、笑いはじめる。左近もつられて笑い、私も笑い、ついに全員大笑いしたものだ、とお話なさったという。


 まず、登場人物の説明。語り手の松屋久重は、戦国~江戸初期の重要な茶書『松屋会記』の編纂者。奈良の塗師、松屋当主。古田織部は、織部焼で高名な千利休、第一の弟子。利休亡き後、天下の宗匠として徳川将軍家の茶頭を任ずる。細川忠興、桑山左近は、ともに戦国武将であり、千利休門高弟です。相客の谷出羽守は、信長・秀吉に仕えた戦国期古兵者、丹波国山家藩初代藩主。春田又左衛門は細川家家臣です。

 織部、忠興、左近はともに利休の高弟。あらゆる芸道でよく知られているように、偉大な師のもとにある、高弟の間はとかく不和となりがちなもの。冒頭にあるように、とくに織部、左近の間はぎくしゃくとしていたようです。ある日、織部の茶会に忠興が招かれる。相客として、谷出羽守、松屋久重、春田又左衛門。そして亭主とは犬猿の仲と知りつつも、桑山左近にも声をかけた。しぶる左近を強引に引き連れていく忠興。この辺、なにやら忠興の意図が感じられます。しかし邸に着くと両者はなんのこだわりなく対応しているではないか。そして織部の丹精込めた炭点前に、左近は思わず「なんと見事な」と、日ごろの感情も忘れて絶賛。障子の陰から伺っていた織部は、その様子に思わず「くっくっくっ」としのび笑いをもらす。つられて一同も笑い、呵呵大笑。めでたく一期一会、一座建立なった、なんとも身内がぽかぽかとするよい茶話です。
 日頃はとかく、社中の席次をあらそいぎくしゃくする間柄であっても、こと数奇に関してはついに相手の存在も立場も忘れて、のめりこんでしまう。禅に”両忘”ということばがあります。好悪・善悪・美醜・真偽など俗世の二項対立を忘れ、ついには自他の境も忘れて、何もない澄み切ったすがすがしい悟境に達すること。宋代の儒者、程明道も「内外両忘するに惹かず。両忘すれば則ち澄然無事なり」といいます。内外両忘、皆々大笑し、この日主客はみな本物の「茶」になったのです。

【言の葉庵】より
http://nobunsha.jp/

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