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2009年12月10日 (木)

「標準語」って、一体何語?

 今回のテーマは「標準語」。”言葉探検”ずばり、直球勝負です。さて、かくいうわたくし、生粋の関西人ですねん…。関西人はすべて、関西弁が正しい日本語、標準語であると考えています。ところが時々、無意識に頭の中で”標準語=東京語”で考えていることがある。これはなぜか?そもそも標準語って何? 何が標準語に採用され、何が捨てられたのか?
 今回以下にご紹介する著作をナビとしながら標準語成立の謎に迫りたいと思います。

『標準語の成立事情 日本人の共通ことばはいかにして生まれ、育ってきたのか』
真田信治 PHP研究所 1987

 本著は「社会言語学の視点で標準語成立事情を追究」した作品です。標準語そのものの定義や歴史など教科書的な説明は↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%99%E6%BA%96%E8%AA%9E
でご確認いただくとして、当コラムでは、トリビア的視点に立ち、そのエッセンスのいくつかを拾い読みしていきたいと思います。


1.江戸以前の正しい日本語は、”京都ことば”。

 安土桃山時代、布教のため来朝したポルトガルの宣教師たち。教義を日本人によく理解させるためには、日本人共通のことばで説教をしなければなりませんでした。彼らが「標準語」として採用したのが上(畿内)の京都ことば。京都の上層階級の人々が用いることばでした。このことばにより日本初の外国人による日本語辞典が生まれました。

『日葡辞書』1603・1604 長崎刊
『日本大文典』1604・1608 長崎刊 J.ロドリゲス編


2.「行かない。都さ上るべい」が”東ことば”。

 京都ことばに対する、東(あずま)ことば。東日本の語法上の特徴を『日本大文典』から見ます。

 a.打ち消しには「ぬ」の代わりに「ない」を使う。上げない、読まない、申さない、など。
 b.未来にはさかんに助辞「べい」を使う。上ぐべい、読むべい、申すべい、など。
 c.移動の「へ」の代わりに「さ」を使う。「都さ上る」など。

 「べい」は、今の首都圏若者語にも「おめー、いねーべ」などと使われていますね。


3.講義・スピーチのスタイルから標準語は生まれる。

 時代は下って、江戸。享保年間、京都、石田梅岩によっておこされた石門心学は、神・儒・仏教を総合、折衷した学問。この講義=道話により、全国各地庶民へ、教えをわかりやすく伝える独特の「講話」のスタイルができあがり、普及しました。

 心学道話と現代標準語の成立事情は、以下のようにたどれます。

「抄物→江戸講義物(心学道話等)→明治講義物→演説→標準語の口語は、一本の連続線上にあるのではないかという予想を述べたが、道話に対する今回の小調査に関する限り、この予想を裏切る否定的要素がなかった」森岡健二

「演説調・講義調・説教調のように、ことばの型が定まってくるスタイルができると、ことばの訛り・語法の乱れは次第におさえられ、多数の聞き手に理解されやすいことば遣いが整ってくる。現在のニュースや天気予報のスタイルも同じプロセス」田中章夫

 ロジカルな思考を行っている時、プランニングをしている時など関西人のぼくも無意識で”標準語”で考えている。これは上のように、標準語が新しい知識を伝えるため、理性に訴えるべく整えられ、成立した言語だからなのかもしれません。どなたか正しい根拠を知っていれば、ご教授ください(anshu)。


4.標準語化が生んだもの。”ダ体・デス体・デアリマス体”。

 明治の標準語化を強力に推進したのが「言文一致運動」。当時の小説家たちが作品の中で実験的に用いた文体が、今日の標準的な日本語表記として定着することとなります。以下が、それらの作家、作品と文体。明治20-24年に一挙に出揃いました。

 『浮雲』二葉亭四迷 “ダ体”
 『胡蝶』山田美妙 “デス体”
 『野末の菊』嵯峨の屋御室 “デアリマス体”
 『二人女房』尾崎紅葉 “デアル体”(デゴザイマスとダ体の中間)

 当時、言文一致運動に「落語」の話法がヒントを与えたというユニークな逸話があります。以下、二葉亭四迷のエッセイ『余が言文一致の由来』より。

「もう何年ばかりになるか知らん、余程前のことだ。何か一つ書いて見たいとは思つたが、元来の文章下手で皆目方角が分からぬ。そこで、坪内(逍遥)先生の許へ行つて、何うしたらよからうかと話して見ると、君は円朝の落語を知つていよう、あの円朝の落語通りに書いて見たら何うかといふ。
 で、仰せの侭にやつて見た。所が自分は東京者であるからといふ迄もなく東京弁だ。即ち東京弁の作物が一つ出来た訳だ。早速、先生の許へ持つて行くと、篤と目を通して居られたが、忽ちはたと膝を打つて、これでいい、その侭でいい、生じつか直したりなんぞせぬ方がいい、とかう仰有る。
 自分は少し気味が悪かつたが、いいと云ふのを怒る訳にも行かず、と云ふものの、内心少しは嬉しくもあつたさ。それは兎に角、円朝ばりであるから無論言文一致にはなつている」


5.標準語化が奪ったもの。”方言摘発・撲滅運動”。

 明治時代の言語統一の考えは、戦前まで続きます。各地のお国ことば、方言は、標準語普及にとって、邪魔な物、無用の物、社会的な「悪」とまでみなされてしまいます。
 この「悪」をつみとるために実施されたのが、”方言撲滅運動”。方言を使用する教師が摘発、生徒が告発されることとなりました。方言を使用した生徒に懲らしめとして「方言札」なるものが、首からぶら下げられたり、背中に貼られたりしたのです。
 方言を禁じることは、方言使用者が自由に意見をいうことまでをも禁じること。むろん、このような政策が受け入れられることも、成功するはずもありませんでした。


6.「ゴ注文ハヨロシカッタデスカ?」は、語法の乱れではなく、方言。

 たとえば、「コワイ」「オッカナイ」「オソロシイ」などの言葉が、全国にどのように分布し、標準語化とどのように関わるのかを解明している章があります。
 ここで面白い例は「おはようございます」の方言。北海道、四国、中国の一部に「ございます」の部分を過去形にした「オハヨウゴザイマシタ」がある。これは、意味的にはむろん過去ではなく、丁寧な表現になるということです。
 よく耳にする、若者/接客用語の「よろしかったでしょうか」。文法的には”過去の時点での確認”とする解釈もあるようですが、現在も現地で使われているこの”丁寧語方言”由来であるとした方が、すっきり説明できるようにも思えますね。


7.コトバは年速0.6kmで旅をする。

 本書にコトバの伝播について面白い実験があります。ある一点で使用されている語形が、どのくらいのスピードで周辺地方に伝わってゆくのかを調べたものです。

・「行く」の否定形過去は、東日本・北日本では「行かなかった」、京都では「行かなんだ」。
・「行かなんだ」は現在、中部・首都圏・山陰・中国地方で使用されている。
・「なんだ」語形初出は、1477年成立の抄物、『史記抄』に。しかし、実際の発生は約50年ほど前か。
・「なんだ」分布範囲は、京都を中心に上の地方へと、半径330kmの円の中にぴったり収まっている。
・これらの地方への伝播は現在までで、約550年かかっている。試算すると伝播スピードは年速(km/年)0.6kmとなる。


8.共通語は「現実」であり、標準語は「理想」である。

 戦後「標準語」に代わり、「共通語」という用語が登場してきます。「標準語」という言葉がもつ統制というニュアンスが嫌われたためだと思われます。

・「共通語」の原義は、異なった言語間のコミュニケーションに用いる第三の言語をさす。インドネシアのマレー語/東アフリカのスワヒリ語/英語など。

・『国語学大辞典』による、現代の標準語・共通語の定義。

「共通語は現実であり、標準語は理想である。共通語は自然の状態であり、標準語は人為的につくられるものである。したがって、共通語はゆるい規範であり、標準語はきびしい規範である。言いかえれば、共通語は現実のコミュニケーション手段であるが、標準語はその言語の価値を高めるためのものである」柴田武

・「地域共通語」の一例。和歌山県中部の一部では、改まった席では、大阪ことば(関西中央部方言)が使われる。


【言の葉庵】メールマガジンより
http://nobunsha.jp/anshu.html#melma

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