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2009年12月 4日 (金)

寺子屋Aクラス「葉隠」講読会のご案内

現在寺子屋素読ノ会では、Aクラスにて「葉隠」(毎月第一月曜 17:30-19:00)を講読しています。
今回はその講座内容を過去のテキストよりご案内いたします。


■テーマ:葉隠の"死"とは何か

●葉隠にみる「死」のキーワード

・死ぬことと見つけたり
・只今の一念
・死に狂い
・死兵
・生死截断
・生死を離れる
・追腹


●古来の死の表現

「天子の死を崩と曰ひ、諸侯は薨と曰ひ、大夫は卒と曰ひ、士は不禄と曰ひ、庶人は死と曰ふ」『礼記』曲礼篇より

●死の名言 

・死とは、モーツァルトを聴けなくなることだ。(アルフレート・アインシュタイン。アインシュタインの従弟で音楽学者)
・武士道というは、死ぬことと見付けたり(葉隠)
・死に至る病とは、絶望のことである。
    (キエルケゴール)
・人は死ぬ。だが死は敗北ではない。
    (ヘミングウェイ)
・死は人生の終末ではない 生涯の完成である
  (マルティン・ルター)
・未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん  (論語)

●辞世の句

・山崎宗鑑(一五五三没 享年八十九)
「宗鑑はいづこへと人の問うならば
ちとようありてあの世へといえ」

・千利休(一五九一没 享年六十九)
「人世七十 力圍希咄(カーッ、トーッ)吾這宝剣 祖仏と共に殺す 堤ぐる我が得具足の一つ太刀 今この時ぞ天に抛」

・松尾芭蕉(一六九四没 享年五十)
「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」

・安藤広重(一八五八没 享年六十一)
「東路に筆を残して旅の空
西のみくにの名所を見む」

・乞食女(一六七二没 享年不明)
「ながらえばありつる程の浮世ぞと
思えば残る言の葉もなし」
「言の葉は長し短し身のほどを
思えば濡るる袖の白妙」
    (返歌 新著聞集)

・庶民の娘(年代不明 享年二十八)
(題:湯灌いや)「おのづから心の水の清ければ  いづれの水に身をや清めん」
(題:経かたびらいや)「生まれ来て身には一重も着ざりけり 浮世の垢をぬぎて帰れば」
(題:引導いや)「死ぬる身の教えなきとも
迷うまじ 元来し道をすぐに帰れば」

・一休(一四八一没 享年八十八)
「須弥南畔(この世界)誰か我禅に会う。
虚堂来る也。半銭に値せず」

・関山国師(一三六〇没)
「断じて仏祖を截る 吹毛常に磨す
機輪転ずる処 虚空牙を噛む」

・柴田勝家(一五八三没 享年六十一)
「夏の夜の夢路はかなき跡の名を
雲居にあげよ山郭公」
・お市の方(享年三十七)
「さらぬだに打ちぬる程も夏の夜の
夢路をさそう郭公かな」

●辞世の句

・豊臣秀吉(一五九八没 享年六十三)
「露と落ち露と消えにし我身かな 
難波の事も夢のまた夢」

・徳川家康(一六一六没 享年七十五)
「嬉しやと二度さめて一眠り
うき世の夢は暁の空」

・浅野内匠守(長矩) (一七〇一没 享年三十五)
「風さそう花よりも猶我はまた
春の名残りをいかにとかせん

・大石内蔵助(良雄) (一七〇三没 享年四十四)
「あら楽し思いは晴るる身は捨る
浮世の外にかかる雲なし」


●葉隠 聞書一 二 武士道というは、死ぬことと見つけたり。

 武士道とは、死ぬことと見つけたり。生死分かれ目の場に臨んで、さっさと死ぬ方につくばかりのこと。特に仔細などない。胸すわって進むのだ。うまく行かねば犬死、などとは上方風の打ち上がった武道のこと。生か死かの場面で、うまく行くかどうかなどわかるわけもない。人皆生きる方が好きである。されば、好きな方に理屈をつける。もしうまくいかずに生き残ってしまえば腰抜けだ。この境目が危うい。うまく行かずに死んでしまえば犬死で気違いである。しかれども、恥にはならぬ。これを武道の大丈夫という。毎朝毎夕くり返し何度も死んでみて、常時死に身となって居れば、武道に自由を得、一生落度なく家職も仕果たせるものである。

聞書一 一一四 武士道に於ては死狂ひなり。


一一四 「武士道とは死に狂いすることである。たとえ数十人でかかっても一人の死に狂いする者は殺せないものだ」
と直茂公はいった。正気にて大業はならず。気違いとなって、死に狂いするまでだ。また武道を嗜み分別ができれば、すなわち遅れを取ることとなる。忠も孝もいらぬ。武士道においては死に狂いなり。この内に、忠孝はおのずから籠もるものである。


聞書二 一七 只今の一念より外はこれなく候。

一七 ただ今、この一瞬の一念というもの以外には何もない。この一念一念を積み重ねて行くことが、一生だ。この境地に達すれば、人に振り回されることもなく、求めることもなくなる。ただ、この一念を守って暮らしてゆくだけのこと。人皆、ここを取り失っている。外に何かあるはずと思い込み、捜し求めている。しかし、そこに何かが見つかる人はない。この念を守り固めて、抜け落ちないようにするには、功を積まねばならぬ。しかし、いったん辿り着けば、普段意識しなくとも、もはや別物になることはない。究極はこの一念にあり、ということをよくよく得心できれば、煩雑なことはほとんどなくなる。この一念に忠節は備わる。

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