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2009年3月20日 (金)

「日本を今一度せんたくいたし申候。」龍馬の手紙

日本を今一度せんたくいたし申候。

~坂本龍馬書簡 文久三年坂本乙女宛

〔解説〕
 四百年溜まりに溜まり続けたこの国の澱・塵・埃。これらを一掃せんとする龍馬の言葉は、この時代、万民の声を代弁したものではなかったでしょうか。
 長州藩は、関門海峡を通過するアメリカ・フランスなどの商船、軍艦に砲撃し、勝手に戦争を始めました。幕府官吏の一党は、破損した外国船を横浜に曳航。なんとこれを修復し、再び長州に差し向ける…。まさに国家の末期状態です。「姦吏を一事に軍いたし打殺、日本を今一度せんたくいたし申候」と龍馬が宣言したのも無理のないところ。
 常に人気の歴史上の人物トップ3にランクインする龍馬の魅力は、廻天の偉業よりもむしろ、稚気を隠さぬ飄々とした生き様、人間くささにあるのではないでしょうか。並みの男ではとうてい太刀打ち敵わぬ女丈夫であった、姉乙女へのほとばしる愛情表現も龍馬の手紙、もうひとつの読みどころ。手紙前半では、「国家の一大事ぜよ。姉上ぺちゃくちゃおしゃべりしなさんな」と釘を刺し、後半では、出家を思い立ったという乙女に、「おもしろや、おかしや」と散々茶化しながらも、「死んだら野辺の骨は白石チチリやチリチリ、この事は必々一人で思い立つ事の決してあいならず候」「おそろしいめを見るぞよ」とたしなめ、「これをやろうと思えば、よく人の心を見定めなくてはいかん。お前もまだ若すぎるかと思うよ」と、筆はすべる。当人乙女のみならず、読んでいる私たちも思わず噴き出さずにはおられません。しかしそこには、大好きな姉の身を思いやる、幼い日そのままの弟の真心が満ち溢れているのです。
 そして手紙は、死を賭して難事に臨む決意で締めくくられる。
「土佐の芋掘りともなんとも言われぬ居候に生まれて、一人の力で天下動かすべきは、これ又天よりする事なり」。
 龍馬のせんたく物は、彼の悲運の死後ほどなく、天がカラッと乾かしてくれました。

〔原文〕
 この文は極大事の事斗にて、けしてべちやべちやシヤベクリにハ、ホホヲホホヲいややの、けして見せられぬぞへ。
 六月二拾日あまりいくかか けふのひハ忘れたり。一筆さしあげ申候。先日杉の方より御書拝見仕候。ありがたし。
 私事も、此せつハよほどめをいだし、一大藩によくよく心中を見込てたのみにせられ、今何事かでき候得バ、二三百人斗ハ私し預候得バ、人数きままにつかひ申候よふ相成、金子などハ少し入よふなれバ、十、二拾両の事は誠に心やすくでき申候。
 然に誠になげくべき事はながとの国に軍初り、後月より六度の戦に日本甚利すくなく、あきれはてたる事ハ、其長州でたたかいたる船を江戸でしふくいたし 又長州でたたかい候。
 是皆姦吏の夷人と内通いたし候ものにて候。右の姦吏などハよほど勢もこれあり、大勢にて候へども、龍馬二三家の大名とやくそくをかたくし、同志をつのり、朝廷より先づ神州をたもつの大本をたて、夫より江戸の同志と心を合セ、右申所の姦吏を一度に軍いたし打殺、日本を今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願ニて候。(後略)
 文久三年(1863)九月二十九日 坂本乙女宛

〔坂本乙女 さかもと・とめ〕
父母に代わり龍馬を育て導いたのが、「坂本のお仁王さま」の異名をもつ坂本家三女、乙女である。

龍馬より三つ上の姉は体が大きく、5尺8寸(約174cm)、30貫(約112kg)もあり、男勝りの性格で馬術・弓術・水練をこなし、剣術の腕前は切紙と武術に優れた女性であった。さらに、四書五経・和歌・絵画を学び、琴・三味線・一絃琴・舞踊・謡曲・浄瑠璃などを身につけていた多芸多趣味の持ち主とされる。

龍馬は12歳で母親を亡くしたのち、この姉の手によって育てられた。乙女は夜中に龍馬をおこして寝小便を注意し、朝になると習字を学ばせ、古今集・新葉和歌集などの和歌集を読み聞かせた。また、午後には自ら竹刀をとって剣術を仕込み、龍馬を厳しく鍛えあげたのだ。

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