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2006年1月21日 (土)

達人は、恥らう乙女のまなざしをもつ。

ヘンなタイトルですみません。目は心の窓、といいますが、人の心は表情、とりわけ目にあらわれるものと、経験してきました。相変わらず、前置き大好き、話の遠い私をお許しください…。

さて先日、仕事で日本各地の"名店レストラン"の店長さんを取材してきました。各店、仕込みの真っ最中、大変お忙しい中、こころよく取材に応じていただきました。お話をお伺いしながら、ふと気がついたことがある。経歴もパーソナリティも各店長さん、それぞれ全くバラバラなのですが、目の表情がとてもよく似ているのです。はにかみというか、まぶしそうというか…。やさしげで、いかにも謙虚な光をたたえている。みなさんもちろん一国一 城の主。堂々とした物腰で、自信に満ち溢れている。ただ、目だけがやさしそう。長年の肉体的精神的重圧に加え、営業としてもっとも難易度の高い、不特定多数への接客業で鍛え上げられた、いわゆる"人扱い"の達人たちの目です。これと対照的だなあ、と思い出したのが、ベンチャー系のある種の人々の目。恫喝するようにカッと大きく見開かれ、瞳孔は完全に開き切り、そこには何の感情も、光もない。漆黒の闇、ブラックホール…。仕事柄、度々出会う目のタイプですが、そのたびに背筋が冷たくなってしまいます。子供の場合は無垢なまなざしとでもいうのでしょうが、彼等に対しては、傍若無人で未熟なものを感じてしまう。目は口ほどにものをいう。「見開いた目」の人が発する言葉は、すべて素通りしてしまい、心に何も残りません。達人の目は、相手のすべてを尊重し、すべてを受け入れてくれる目です。

若くしてすでにこんな目をもつ人もいるし、いい年で社会的地位のある人でも目に何の表情もない人がいます。さて、自分はどんな目をしているのだろうか…。こればかりは、意識してにわかにつくれるものでもないので、たとえ相手が好きな人であれ、苦手な人であれ、人の話しを一生懸命に聞こうと心がけています。耳を傾ける目には光がうまれ、ただ一方的にしゃべるだけの人の目は、ただの黒い穴…今回の取材で確認することができたような気がするからです。

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2006年1月 9日 (月)

恐るべき、せどらー

ある本が翻訳資料として必要なので、ネットで探しました。ジャンルはポピュラーだけど、専門書だし、発行も1987年なので、当然新本は絶版、再版なし。アマゾン マーケットプレイスでやっとこさ古本をみつけたが、定価\3500のところ確か\5000以上の価格設定で、少し高い。出品者に「定価程度になりませんか…」と問合せメールを送ると、「当社は値引きしません」との返答が。まあ、図書館にもあるしと放っておきました。1~2週間後、他の出品もあるかもと、再度アマゾンで検索してみると、その出品者はなんと\15000に大幅プライスアップ! ヤフーブックでは\18000で出していました。(これは2ヶ月ほど前の話しだけど、今もこの値段でだしています) 「せどらー」と呼ばれる彼等の正体は「せどり」を行う古本の仲買人です。BOOK OFFで\100均一本を仕入れ、アマゾンで無茶苦茶高く売る、というのが基本的な商売のやり方。仕入れの商品知識がないので、検索や予約注文リストなどのネットツールを活用し、高値販売可能商品を仕入れるという。なれれば、学生アルバイトでも月30万円稼ぐともいわれています。ぼくのケースでは、稀少本へ「問合せ」のあるアイテムは、絶対売れるので「値づけは、さらに厳しくせよ」と、おそらくマニュアルにあったのだと思う。「\0000で、買いたい」は、必要だが予算ははっきり決まっているよ、だめならいらないよ、というメッセージです。客やマーケットニーズにより、商品と価格が存在する、というマーケティングの基本がないので、近頃おかしなことが起こるなあ…と失笑しました。ちなみに、必要だった本は、そのあとすぐ古書販売ポータルで定価より安く、手に入りました。URLはこちら

http://www.kosho.or.jp/index.html

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2006年1月 5日 (木)

700年前の日本語

謡を習い、ずいぶんたちますが

その昔、稽古始に必要な道具を先生にお尋ねしたところ

着物はすぐには必要ないが、扇、白足袋、謡本は必須とのこと。

謡本なんていうものがあることすら知らなかったので

興味津々に入手してみると、なにやらお習字のような楷書で

書かれた和綴じの美しい本でした。

開いてみてまず、「達筆風」の筆文字にうへぇ~、

と思ったものの、よく見ると大変読みやすい筆跡で、

しかも「何々で候」という文体になれれば、ほとんどすべて

読めるし、意味も通じる。江戸寛政年間にこの元版ができ、

何度か改版されはしたものの、体裁、書体等は原則それほど大きくは

変更されていないという。それどころか、博物館で世阿弥自筆の謡本を

見る機会があったが、ゴマ(メロディーを表す音符のようなもの)が

少々簡略なだけで、今の謡本とほとんど変わらないのにびっくり。

こうやって考えると、年々激しく変化しているように思える日本語も

根本的には意外に変化の少ないものですね。

能、狂言のセリフも日本人ならほとんど意味が通じます。

能や狂言のように、様式が完成し、固定化した芸能が

あったからこそ、口頭伝承により、よく中世の言語が保存されたのだ、

と言えなくもないと思っています。その他の古典文芸や文献書肆

に比べ謡曲の文句には方言がほとんどありませんし。

日本語そのものが変わらないことにもまして、ぼくが本当に

感動してしまうのは、能のストーリーや舞台での表現方法です。

中世やもっと昔の日本人の感受性や心の動きは、まったく今の

ぼくたちと何も変わらない…。むしろ、より豊かでより密度が高い

ことに驚かされます。特に自然に対する感受性と表現がすごい。

そのまま胸にせまってくるものがありますね。

ギリシャ仮面劇がこの地球から消滅してしまった今、能、狂言を

単にめずらしい時代の遺物として博物館に展示するのではなく、

さらに500年後、1000年後へと日本の言葉と心を伝えて行けたらいいな、

と単純に願っています。

年の変わり目に、変わらないことのすごさ、ありがたさに

ふと思いいたり、書きとどめたくなりました。

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2006年1月 3日 (火)

12時間飲み、食べ続ける!

こんにちは。

元旦から連ちゃんで身内の年賀会。さすがにへばりました…。

1日は親の実家で家族、兄弟と約5時間。2日は親戚の家へ行き、昼すぎに始まって夜まで、おそらく7時間は座ったまま、ノンストップでひたすら飲み、食べ続けました。この年になって痛感するのは、飲むことはもちろん、食べることにも大変な体力がいるのだなあ…ということ。眠るのも体力いりますよね。高校生の頃など、20時間くらい寝ていましたから。集まりは当然年配の人が多い。でも、みんなずいぶんタフだな、と感心してしまいました。胃というよりは、肝臓や腹筋が食べるために疲れたような…。お正月休み明け、疲れきって会社に初出する人も多いのでは。でも、めげずに、今年も一年がんばりましょうね。

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2006年1月 2日 (月)

2006年ぼくの初夢は仕事の夢だった?

みなさま、初夢みました?

悲しいことに昨晩みたぼくの初夢は、詳細な仕事の段取りを

組む夢でした。あれあれ…?

休み明けに地方ロケがあり、ちょい厄介な手配が早々に必要なため、

であったためと推測しています。

そもそも、初夢にエビス大黒・宝船を見たなんていう人は聞いたことがないし、

富士山の周りを鷹がなすをくわえて飛んでいる夢も聞いたことがない。

まあ普通は、普段の生活そのままをみるんじゃないのかなあ。

フロイト夢判断は笑うべし…とは思っていますが、夢の現実確認と

補償作用はあるのでしょうかねぇ。メモリー機能とバックアップ機能です。

これなんかは、人間にとって夢を見る理由、意味が感じられるのですが、

よくわからないのが、わけのわからない夢や、心の中で

忘れてしまいたいと思っていることを繰り返し、繰り返し見ること。

まあ楽観的な人は「何とか成るさ」的な夢、エピキュリアンは酒池肉林のそれ、

さしづめぼくあたりの心配性、苦労性の人間は、予定や計画、確認などという

みて面白くもなんともない夢ばかりみるのですかねえ。

こわい夢みるよりはよっぽどましですが、なんとなく損した気分の初夢でした。

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2006年1月 1日 (日)

KOTONOHA支店本日オープン!

anshuです。

あけましておめでとうございます。

本日、日本語大好き大集合kotonohaanココログ支店が

オープンしました。へぃ、いらっしゃい、いらっしゃい!

ここでは脳のスイッチを切って、おバカがおバカを呼ぶ、笑えて楽しい

庵フォーマルな場にしたいとおもっています。

ぜひぜひたくさんのご来場おまちしています。

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